─古写本『源氏物語』触読体験─
福島県立盲学校高等部国語科教諭 渡邊寛子(わたなべ・ひろこ)
1 はじめに
『変体仮名はほとんどの日本人が読めなくなってしまっているが、それなら視覚障害者も晴眼者も条件は同じではないか? 『源氏物語』の変体仮名を視覚障害者にも読んでほしい。』
これは私へのメッセージに違いないと思いました。「月刊視覚障害 その研究と情報」(318号・点字データ版)の盲教育史研究会の内容の中の一説でした。
元々弱視の私が失明して、点字使用になって10年、筆を持たなくなって15年、墨痕麗しいあの『源氏物語』の古写本に触れるものなら、触ってみたい。筆で書かれた本文など、弱視で高校教員をしていても、ほとんど目にすることはありませんでした。
私は先天性の緑内障で、左0,06、右0,02くらいでした。それは小学3年の夏休みに両眼の手術をした後から視力検査をするようになり、わかった視力です。それまでは弱視だなんて自覚もなく、地域の学校で、黒板の字は一番前でも見えないけれど、教科書に目をくっつけて、耳からノートをまとめていました。高校も、友達にノートを写させてもらって切り抜けてきました。大学ではノートを貸す側に回りました。大学後半から三人目を産むまでの十年間は、コンタクトレンズで左だけ0,3の矯正視力が出ました。近視と乱視の屈折の異常は矯正できたのです。手許の文字はごちゃっとして見えなくなるので、外を歩く時だけの視力でした。世の中がちょっとはっきり見えた十年でした。
書道を教えていた祖父、母の影響もあり、幼稚園の時から筆を持ち始め、黒い毛氈、白い半紙、黒々とした墨字はまさに私のアイデンティティでした。見えにくくても誰にも負けない、それはお習字。中学では、部活をやると暗くなって一人では夜道を歩けないだろうと、運動部ではなく、郷土史研究部、高校、大学では書道部でした。高校では楷書、行書、草書、そして仮名の臨書、大学では仮名の創作で変体仮名を散らしていました。
二人目を出産して右、三人目の出産前から左が見えにくくなり、育児休業明けに、4回の手術、角膜移植するも、復帰の目途は立たず、点字・歩行・音声パソコン操作の生活訓練を受けて、盲学校へ転勤・復帰しました。
国語の教員として復帰して丸十年、昨年、この記事を読み、大学の大先輩である日本盲人委員会理事の指田忠治さんに「伊藤鉄也先生ってご存知ですか?」と『源氏物語』の変体仮名を読んでみたがっている全盲がいることを伝えていただいたのでした。
2 「須磨」を読む
6月18日、ハーバード大学本『源氏物語』の「須磨」巻の立体コピーが届きました。
原寸、1.5倍拡大、2倍拡大の3種類の大きさのものが4枚ずつです。そんなことには気づかず、とりあえず、重ねられている順番も意味があったら大変だと思い、点字で通し番号を1から12までうちました。一番大きいものをなぞってみて、「よ乃」次がひらがなだと思い込み「そ」かなあと思いつつ、次の字が「ハ」なのか、「い」なのか、どうも「いづれの御時にか」ではないなあと思いつつ、どこの巻かも思い当たらず、触っていました。職員室の隣の席の若い社会科の教員が、「達筆ですね」と関心を示し、『源氏物語』であることを伝えると、感心し、大きさが三種類、どうも同じものらしいと教えてくれました。
とにかく、来週24日から26日までは期末テスト、その後、27、28の土日は、地元福島市内で第24回視覚障害リハビリテーション研究発表大会が開かれ、会員・実行委員として、ポスター発表と二日目のランチョンセミナーを担当することが控えていて、それが終わったらじっくり触読しようと思ったのでした。
そこへ「送りましたメール」が伊藤先生から届き、須磨の冒頭と知り、原文を探したら、わかったつもりになってしまうので、もう少し、わからないまま触ってみようと思いました。それを「自虐的な時間」と称して。原寸大は触読するには、小さくて、よくわかりませんでした。二倍のだと、学生時代に自分が書いていた大きさに近いので筆遣いを追えます。でも、変体仮名の使い方に癖というか、好みがあると思いました。この写本は「と(止)」が多く、それが「三」に思えるのです。曲線のつながりが立体コピーだと切れてしまって、ひらがなの「と」でなくカタカナの「ミ」に近い。「つ」の変体仮名が「徒」だとは思い出しましたが、そうなると、「よの中いとわつらしく」が「よのそハミわつらしく」とも読める、意味不明です。「わづ(徒)らはし」という形容詞かと思うと、「わつらし」で「は」がない。冒頭の一行目からお手上げ状態でした。
「本」とか、「於」など、指を持ってもらって動かして思い出すものもあり、納得しきれていない感じでした。二倍のものにはない部分で、原寸大では触ってもよくわからないところが後半にありました。
それから2週間半後(7月6日)に、立体コピーが読めたので翻字テキストを添削してほしい、という連絡を差し上げました。 以下、その後の伊藤先生からの質問項目への回答。(7月10日)。
(1)どのようにして読まれたのか。
まず送られた立体コピーをノーヒントで触りました。
「送りましたメール」をいただく前で、大きさが3種類、4部ずつと知らずに、一番大きい二倍で触り、出だしのひらがな「よの」、ところどころの「し」「く」などしかわからず、文脈が想像できませんでした。どこの巻かも。「いづれの御時」でないことはわかりました。
その後、メールで須磨の冒頭と知り、しばらく触っていても進展がないので、自宅で息子に参考書から須磨の冒頭を読み上げてもらい、音声パソコンに打ち込みました。
「ハーバード本には『いと』がない」というご指摘により、息子の参考書は大島本系統でしょう。「わづらはしく」も「は」がないので。
サピエで点訳データを探したのですが、古文表記の原文が探せませんでした。
パソコンの原文をヒントに触りながら変体仮名を推測し、原文に漢字を当てていきました。 原寸大では全然読めなくて、二倍が学生時代に書いていた仮名の大きさに近いので筆遣いが想像できました。
それでも二倍の立体コピーは文章が途中で切れるので、意味が通じないところがあり、7/5に書道の元教員の母に出てきてもらい、指を動かしてもらって、変体仮名を思い出すのを手伝ってもらいました。
(2)読み難かった文字は何か。
止、志、新、那、本、奈、堂、於、春 「可」で上の点画があるものとないものがある。それが「万」と紛らわしい。
「た」に「堂」を多用していて、ぐちゃっとくっついてただの長方形に思える。判別できない。文脈から推測するも不十分。
一度触ればわかるもの 「里、万、須、徒」
(3)どのような立体コピーを用意すればいいのか。
二倍サイズで最後まであるとよい。
が、その後、触っていると、つい昨日のことですが、原寸大でも読めてきた!
最後の行、「三やこ」とつながって認識できる。触り足りなかったかも。
(4)どのような参考資料や情報があればいいのか。
・原文データ 音声パソコンで耳ですっきり入るひらがなだけのもの。意味を取りたいので。
・翻字データ 今回つけていただいたもの。
・変体仮名の触読できる一覧(立体コピー) 触り比べて当てはめる楽しさ。
(5)半丁を読まれての感想と今後への要望。
久々に知的な刺激で楽しかったです。
原文を味わうことが、点字使用になるとなかなか困難です。
古文点訳は、歴史的仮名遣いで忠実に正しく点訳されているのを探すのが難しいです。
教科書に載っているものはほんのわずかで、進学校がテキストとしているような参考書の点訳を探してまでは読む余裕がないです。日々の仕事で忙殺されてます。
3 「蜻蛉」を読む(7月30日)
「蜻蛉」の原寸大は 「須磨」よりかなり小さく、枠がとってあったので、大きさがよくわかりました。このままでは触読はできないサイズです。しかし、これを書くにはかなり細い筆、いわゆる「面相筆」か何かでないと無理だろうなあと感じました。それが感じ取れただけでも原寸大の価値はありました。さらに、立体コピーにしても、さまざまな大きさのものを用意してくださっていました。
結局は、1面10行の枡型本の5行分を、A4版用紙に縦いっぱいに立体コピーしたものが一番いいことがわかりました。
木刻文字や切り抜き文字も、触り比べてみました。さまざまな触読に関する参考意見となれば幸いです。
この文字を削り出し、抜き出した科研運用補助員の関口祐未さんの細かい手仕事に頭が下がります。
「変体仮名」とは違いますが、活字のひらがなについても触読しました。よく0,02くらいの、点字か、墨字か迷う、微妙な視力の児童に、就学前に「あいうえお」を教えるためにお母さん方が苦心して作るような立体文字の様々なサイズでした。点字使用児童も、ひらがなの字形は追える場合もあり、震災前に私が点字導入して地域の小学校へ上がった児童も、そうやってお母さんがフェルトでひらがなを作って形を教えていました。学習文字としては点字でも、ひらがなが見える、触り分けられるというのも、大切な力だと思います。
「あ」と「お」を触り分けるには、48ポイントの文字が一番触読しやすい、との結論でした。
「図書館などのカウンターで、この文字の大きさに拡大した立体コピーを作成すれば、今すぐにでも視覚障害者がひらがなの本文とひらがなのルビを頼りにして、自分の意思で自由に読書ができるのではないか」という、伊藤先生の積極的チャレンジです。そこまで考えてくださる健常者は初めてです。どうみても面倒くささが先に立つと思います。ノウハウを持っている人でも。私たちも、あきらめてしまいがちです。自力で立体コピーが作れない全盲は。
「誰に遠慮することもなく、自分のペースで、同じところを何度でも読むことができる」と言われると、「そう簡単にあきらめるな」と言われているようでした。
その後、日比谷図書文化館の翻字者育成講座に参加しました。
1時間で、ハーバード本「蜻蛉」の14丁裏から15丁表の見開き1丁分を読みました。
「須磨」で手が慣れたせいか、また、「須磨」よりも、「し」や「多」の「た」が多いせいか、流れれる曲線が多くて、指で追うのもなかなか楽しかったです。ひらがなの美しさを改めて感じました。読みながら先生の説明が入るので、微妙な曲線の「う」「か」「し」「ら」「く」「と」「よ」「ひ」などもついていけました。「須磨」で折角覚えたというか、思い出した「須」「那」「奈」はあまり出てこなくて、「者」の「は」がくっきり読み取れたり、「ん」が多かったり、「に」がほとんど現代の表記だったりと、わかっている方の音声解説つきだと理解が早いと思いました。「井」は「須磨」で出てきて覚えたら、「蜻蛉」では「伊」も出てきて、レパートリーが広がった感じでした。今回、なぞり書きという部分が、立体だと塊として盛り上が っていて、文末に入りきらない文字も一文字脇に書いてあってくっついてしまっているとか、「須磨」に多かった「新」「志」の「し」は室町時代以降は出てこないなど、先生にお聞きしないとわからないことがたくさんありました。
「心」という字も、文中にあると、つぶれてしまって、4つの点みたいだったり、かろうじて文頭だからそれなりに読めたりと、あまり美しくない書き方で、おもしろかったです。
紙のしみとか、繊維のごみとか、紙の箔か、ぼかしかなど、それも立体にすると浮き上がってくるわけです。仮名用の和紙を吟味して選んだ学生時代が懐かしかったです。高級な紙に負けない本文を書かないとという、失敗できないというプレッシャーがありました。
4 終わりに
伊藤先生の字母についての説明を聞きながら、しだいにさまざまな変体仮名の字母を思い出しました。
「す」は「春」も「寿」もあり、右上から左下へ斜めにひっかけるとか、楷書からは想像のつかない「春」の草書体。「寿」は最後に「の」の巻が崩れそうな「くるりん」とした曲線が特徴で、指がそれを捉えるととても楽しくなりました。筆の勢いに任せて一筆書きができる、ひらがなや行書は、全く光を感じなくなった今でも板書ができるという裏ワザの糧なのです。
国語の授業は縦書きの板書なので、腕が覚えていて、漢字が書けます。画数の多い漢字は忘れそうなので、弱視生徒の授業では生徒の目を借りて正確に書こうとしている今日この頃です。
「文化の共有」という点で、「この仕事は三代、百年かかるかも」と伊藤先生がブログで書いておられました。『源氏物語』の翻字のデータ化、それを私達視覚障害者が触って読める、音声で確認できるなんて、誰が思いつくでしょう。
見えなくなってあきらめたこと、みな人それぞれにあるのでしょうが、文化的な刺激を久々にうけ、国語の教員でいられる今に、そして出会いに、感謝しております。
(触読レポート 2015.8.3)
関連情報
「古写本『源氏物語』が触読できる全盲の渡辺さんとの一日(1)」(2015年07月30日)
「日比谷でハーバード本「蜻蛉」巻を読む(その17)」(2015年07月31日)
「古写本『源氏物語』が触読できる全盲の渡辺さんとの一日(2)」(2015年08月01日)
「日本盲教育史研究会(第4回)のご案内」(