研究の斬新性・チャレンジ性

 現在、触常者は、横2×縦3の計6点で刻印されたブライユ (Braille) 式点字を、指で触ることによって、各自が文字や言葉や文章を識別し判読している。日本においては、明治23年に石川倉次が考案した日本語の6点式点字を東京盲唖学校で採用して以来、全国の触常者はこの点字を習得し、日常的なコミュニケーションに用いている。 
 このような状況の中で、本申請課題は、墨字の中でも鎌倉時代に書写された『源氏物語』を素材として、変体仮名の触読の可能性にチャレンジするものである。これは、古典籍が実用レベルの電子データ化を果たしていない現状と、それらをパソコンの読み上げソフトで聴いて理解することの困難さを踏まえた上での、まったく新しいチャレンジである。

 

[1]本研究が、どのような点で斬新なアイディアやチャレンジ性を有しているか

 国内外において、墨筆によって書写された手書き文字を触読することは、明治中期以降は試みられなかった。江戸時代に『群書類従』を編纂した塙保己一は、版木を通して触読していたと思われる。しかし、それも高度で特殊な才能により、記憶力を最大限に発揮しての営為であった。 
 触常者の読書は、従来は点字と音声のみであった。日本語の6点式点字は、それまでの漢字仮名による表記とは分離された文字判読の世界を構築していた。本課題ではその垣根を低くし、明治初年までの状況を再検討し、触常者と見常者とが同じ資料を読み取る手だてを探ることにした。 
 また、文字が読めた次の段階として、さらに触読の範囲を拡大するためにも、簡便な字書が必要である。そのために、今回素材とするハーバード大学美術館蔵『源氏物語』「須磨」巻を基礎資料として、変体仮名が1文字ずつ浮き出た字書を作成する。さらには、古文の理解を支援するために、中学生レベルの古文読解の参考書を、点字により作成して提供する。 
 その意味からも、本課題は視覚障害者の触読環境を新たに豊かなものへと展開するのに資する意義を有している。

 [2]本研究が、新しい原理の発展や斬新な着想や方法論の提案を行うものである点、または成功した場合に卓越した成果が期待できるものである点等

 文字による伝統文化の理解と情報の共有が、触常者と見常者の間で円滑に行われていない。そこで、触常者が明治以前の日本語文献や手書き資料を積極的に読解できる方策を、まずは構築して提案する。具体的には、古写本の一丁ずつを15 cm 四方の板に刻んで復元し、書写されている変体仮名の文字を浮き彫りにした教材を作成する。次に、変体仮名が連綿という続け字になっているため、触読の初心者に対しては、1文字ずつに切り込み線を入れて、文字認識を支援する工夫をする。 
 浮き出し文字の認識と学習においては、3Dプリンタを活用して別途作成する『変体仮名触読字典』が、有効に機能することとなる。また、古文読解の『点字版古文学習参考書』を点字で作成することが、日本文化をより深く理解するためのツールを手にすることにつながる。 
 触常者が従来の点字だけに頼っていては、見常者と触常者はお互いが用いる文字体系が違うために、滑らかなコミュニケーションを保てない。また、古典文学関連の日本的特性を持つ文化も共有できない。本申請課題は、この問題に真正面から立ち向かうものである。 
 東京と京都の盲学校の生徒による触読の実習は、本研究における必要不可欠な体験学習となる。現在から過去へと視野が拡がることで、触常者と見常者が共に大きく成長することが期待できる。 
 本課題で実績が上がると、触常者も縦書きの仮名文字の認識ができるようになり、国文学研究資料館が所有する約20万点のマイクロ・デジタル資料を触読する道も開かれる。すでに触読のための資料は整っている。それをどのようにして触常者が利用できる環境を構築するかに、本課題の一番の力点がある。これについては、現場からの反応を汲み上げながら、試行錯誤を繰り返していくことで、一歩ずつ解決していくことになる。