ご意見は 伊藤鉄也(t.ito@nijl.ac.jp)まで
1年目(1995.
9.30〜1996. 9.30)
2年目(1996.10.
1〜1997. 9.30)
4年目(1998.10.1〜1999.12.31)
5年目(2000.1〜12)
6年目(2001.1〜12)
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◎(87)98.8.18 『源氏物語』に関連する関西での展覧会を二つほど紹介します。JR西日本「電車&ウォーク AUGUST」より抄出しておきます。残暑厳しき折、息抜きにいかがですか。
◆出光美術館(大阪) 「江戸の狩野派〜将軍の御用絵師たち〜」
8/4〜9/27d月休 地下鉄御堂筋線・心斎橋2番出口・徒歩3分
徳川の治世にふさわしい瀟洒な作風を打ち立てた狩野探幽。源氏物語の世界を描いた狩野探幽の屏風絵を中心に、狩野派の絵画十数点を展示します。
◆京都文化博物館 「源氏おんな物語展〜愛に生き、自分を探し続けた女たち」
8/21〜9/20d8/26休 地下鉄烏丸線・烏丸御池5番出口・徒歩3分
源氏物語に登場する女性たちに焦点をあて、女性としての生き方を考える企画展。源氏物語を主題とした絵画や工芸品、古文書など約70点を一堂に展示します。
なお、この記事を掲載していた朝日新聞(1998.8.12)の第3面下にあった、岩波文庫の広告にも目が留まりました。旧大系本をもとにした『源氏物語』の文庫本を紹介するコピー文を、以下に紹介しておきます。
源氏物語 全六冊
紫式部/山岸徳平校注
源氏の胸中に深く刻まれた継母藤壷への思慕を出発点としして、
栄光と寂寞の生涯を辿った四四帖。 セット本体3980円
あれ、宇治十帖は入っていないのかな、と手持ちの本を見直したりしました。
そして、今頃、まだ山岸先生の三条西青表紙証本のテキストをばらまく神経を疑います。岩波では、今は、いわゆる青表紙本としての大島本を底本にした新大系本を刊行しておられるので、もうこの山岸版は廃版にし、研究史上の資料として扱うべきものだと思います。
山岸先生の授業を受け、先生に紹介状を書いていただいて写本調査に出かけ、先生の書庫で直々に写本や手沢本を見せていただいた一学生としては、特に愛着のある大系本ではありますが、もうこの本は、歴史的な価値を持つものになっていると思います。
岩波さんには、『新大系』の文庫本を、一日も早く刊行されることを望みます。
「澪標」諸伝本の位相と性格
b鶴見大学蔵本を中心にしてb
『源氏物語大成』に別本としての採択がないのは、「若紫」「明石」「澪標」「絵合」「松風」「藤袴」の六巻である。これらの巻には、『源氏物語大成』刊行後に確認されている、いわゆる非青表紙本・非河内本の本文(中山家本・保坂本・東大本・蓬左文庫本・鶴見大本など)がある。『源氏物語大成』未収録の別本とすべき本文の読みを展開する中で、異本の表現様態について考察を進めているところである。
青表紙本とは何かが改めて問われる今、大島本一辺倒の『源氏物語』受容に留まることなく、より多様な物語受容を試みるにあたって、「澪標」における河内本とそれ以外の表現世界とその位相を確認してきた(注氈j。「澪標」の朱雀帝の描写場面を中心にして、その本文異同から河内本の本文の実態を検討したものである。校訂結果よりも、校訂過程を意識して物語本文を読むことを心がけたものである。
本発表で取り上げる鶴見大本「澪標」は、先年、池田利夫氏によって紹介された新出本である(注)。これは零本であり、「澪標」以外の本文のありようは今のところは不明である。それだけに、この特異な本文を伝える伝本の位相を確認することは、依然として遅れている源氏物語の本文研究において、有益な資料となるはずである。
以上の問題意識と視点から、今回は次の二点に関して考えていきたい。
まず、「澪標」諸伝本の本文内容を相互に照合すると、次の相関関係が見えてくる。
1類[大島][穂久邇・伏見・三条西]【いわゆる青表紙本】
2類[前田・日大・国冬・保坂]
3類[陽明・東大][麦生・阿里莫]【通称としての別本】
4類[鶴見]
5類[尾州・高松宮・各筆御物] 【校訂本としての河内本】
五群に分かれたこの関係図は、本文の系統論を再考するためのものではない。これは、源光行・親行親子の手になる校合校訂本としての河内本(ここでは尾州家本)をまず横に置き、それ以外の伝本十五種類を本文内容の異同から、それぞれがその伝承する本文の関係に齟齬をきたさない程度にグループ分けを試みた結果である。
次に、これらの中でも独自な位相を示す鶴見本が、後の校訂補訂本ではないことを確認する。今回の発表の中心は、この鶴見本本文の性格の考察であり、河内本以前の本文の姿を留める鶴見本の特異な表現相を明らかにすることである。
注氈@拙稿「澪標における河内本本文の性格 ー朱雀帝の描写を中心にしてー」
(『本文研究 第二集』、平成十・三、和泉書院)
注 池田利夫氏「別本「澪標」巻写本の出現 \鶴見大学図書館新収本とその影印\」
(『源氏物語と源氏以前 研究と資料 \古代文学論叢 第十三輯\』、
平成六・十二、武蔵野書院)
作品研究の根幹となる本文の重要性を再認識し、さまざまな考察と読みの可能性を展開していくものとして期待されている論文・資料集です。第一集は、『源氏物語』の特集となっていました。今回は、その守備範囲をさらに広げたものとなっています。
以下に、目次をあげておきます。
【研究編】
・雲葉和歌集切拾遺 (伊井春樹)
・「澪標」における河内本本文の性格
−朱雀帝の描写を中心にして− (伊藤鉄也)
・中京大学図書館蔵「源氏物語」(五冊本)について
−早蕨の巻の本文の特性− (藤井日出子)
・枕草子三巻本の行為指示表現 (中村一夫)
・ディジタル書誌データベース(dbDB)の考察
−近代文学関連書誌を対象にした
内容分析データベースabde(v0.5)−(谷口敏夫)
【資料編】
・国冬本源氏物語2
−翻刻 夕顔・若紫・末摘花− (伊藤鉄也・岡蔦偉久子)
[A5並製・222頁・口絵2頁 ISBN4-87088-908-0]
なお、『本文研究 考証・情報・資料 第一集』(伊井春樹編、1996.7、和泉書院、\3,605)の目次も再掲載しておきます。
【研究編】
・松尾切(源氏物語歌集)考
ー抄出の方法と依拠本文 付、源氏物語和歌抄切拾遺ー(伊井春樹)
・源氏釈所引「源氏物語」本文についてー「夕顔」「若紫」ー(渋谷栄一)
・保坂本源氏物語の本文の一性格ー朝顔巻の別本をめぐってー(中村一夫)
・陽明文庫本源氏物語青表紙系本文の仮名遣い
ー「お」と「を」の仮名遣いー (井藤幹雄)
・コンピュータ上の図書巻末索引の自動作成 (谷口敏夫)
【資料編】
・国冬本源氏物語1
−翻刻 桐壷・帚木・空蝉− (伊藤鉄也・岡蔦偉久子)
現在、『本文研究 考証・情報・資料 第三集』の原稿を募集しています。
投稿を希望される方は、論題と簡単な要旨、または、翻刻資料の内容について、 伊藤鉄也(t.ito@nijl.ac.jp)までお知らせください。
構成の概略は、以下のようになっています。
基礎編 国文学研究資料の電子化
(国文学研究資料の解析・国文学データベースの開発研究・国文学研究過程の解析とモデル化)
応用編 マルチメディアとしての国文学研究資料
(文献資料流通システム・奈良絵本データベース・国文学テキストデータベース)
私の興味から、1例だけ内容に触れておきます。
「日本古典文学大系10作品の使用文字統計」という表があります(70頁)。ここに『源氏物語』の場合が、次のように示されています。
総文字数 1,482,617 (異り数 1,897)
JIS内 1,482,542 (異り数 1,887)
JIS外 75 (異り数 10)
これは、旧版の岩波古典大系本による調査結果だそうです。安永氏の調査は、活字の校訂本をもとにして、コンピュータに入力する場合の漢字の様相についてのものです。JIS外字が意外と少ないことについては、いろいろと感想があるところです。実際に『源氏物語』の写本を読むことが多い私は、異体字は別として、外字が10例ということに納得します。『源氏物語』を写本の表記のままにコンピュータでデータベース化するにあたっては、外字の問題はそんなに神経を使わなくてもよいからです。
それよりも、総文字数に興味を持ちました。私の調査では、『源氏物語大成』をもとにしての算出による限りは、写本レベルでの『源氏物語』の文字数は、おおよそ[877,365文字以下]だからです。写本レベルでの算出にあたっては、原稿用紙に写し取った場合を想定してのものです。改行箇所や和歌のところでは、当然、空白のマスも数えることになります。
写本レベルということは、ほとんどが平仮名で書写されているものであり、漢字は「御」や「給」などの少数のものとなっています。活字になった校訂本は、写本の平仮名には漢字をあてて本文を組んであるので、当然字数も半減していると思っていたのです。ところが、安永氏の調査結果では、活字校訂本のほうが、写本の字数よりも約2倍の文字数となっているのです。
今、その詳細はわかりませんが、また私なりに調べてみたいと思います。
なお、『国文学研究とコンピュータ』巻末の「国文学用語の解説」と「情報学用語の解説」は、簡潔に要点がまとめてあって重宝します。また、「国文学研究資料館 外字辞書(総画数順索引)」は、日頃お目にかかれない漢字のオンパレードで、しばし文字というものに想いをはせることになります。
さらに、「電子化テキスト研究の背景」の節では、「伊井、伊藤ら[伊井93;伊藤92]による国文学データベースの作成と電子出版活動も注目されている。」(274頁)と、伊井春樹先生と併記されている自分の名前を見つけて、なにやら元気がでてきました。私は『源氏物語』の写本を中心とした資料整理という、あまり人がしない地味な仕事をしています。自分なりの文学作品の読み方がいまだに提示できないこともあり、昨春より物語を読むことを意識しています。この一文を安永氏からの声援(?)と勝手に理解し、『源氏物語』を読むことでさらに勉強を深めたいと思います。
旧版から『新編』に変わるに際して、本文に多少改変が加えられました。
大島本の独自異文を避けるような本文になりました。このような本文を、『源氏物語』受容の基準本文としてよいのか、私は疑問に思います。
岩波書店の『新大系 源氏物語』の方が、本文に対する姿勢としては評価できます。あくまでも大島本でテキストを提供するのだ、という心意気です。しかし、利用しやすい点が評価されて、『新編』はポピュラーな『源氏物語』のテキストとなっているのが実状のようです。
小学館の全集のスタイルについては、次のような意見があります。
本文の下段に現代語訳を配した組み方は便利であるが、現代語訳がないと古典が読めない学生を量産してしまったかもしれない。(『AERA Mook 源氏物語がわかる。』167頁、1997年7月、朝日新聞社)
それなら、あの得体の知れない混成本文で組まれた『日本古典集成 源氏物語』(1976年〜1980年、新潮社)を、セピア色の傍訳を参照しつつ読めばよいのでしょうか。
『源氏物語』を読解するためには、専門家といえども辞書や古注釈書や現代語訳の手助けを借りることがよくあると思います。活字で公刊されている『源氏物語』を、それも原文(?)古文(?)いや現代の合理的な解釈による校訂本文のままで理解できるというのは、あくまでも幻想であると私は考えています。
上段の注記・中断の原文・下段の現代語訳で構成される『新編日本古典文学全集 源氏物語』は、非常に重宝する古典への道案内の書です。新しく刊行される『古典セレクション 源氏物語』も、左頁に現代語訳があります。「現代語訳がないと古典が読めない」ということをいつまでも否定的に捉えていると、『源氏物語』の受容者はますます一部の人たちに限定されていきます。そうではなくて、読めない時には現代語訳を参考にしてでも、より作品の中へと入り込むことが大切なのではないでしょうか。あるいは、異文の存在を知り、現代語訳を参考にしながら、また違ったことばの世界をさまようのも文学です \(^_^ )( ^_^)/
今秋、角川書店より『源氏物語』の新しい校訂本文が新しいスタイルで公開されます。今年は、『源氏物語』の受容史にとって、一つの節目の年になるかも知れませんね。
・鎌倉期の和歌と古典学――藤原定家の古典学(和歌注釈・本文校勘etc)
・中世期の『古今和歌集』注釈書・聞書類
・中世期後期〜江戸期以降に至る古典籍の享受史
――江戸期冷泉派歌人の蔵書の伝来過程・古典籍の享受史
斎宮歴史博物館 電話 0596-52-3800
「源氏物語」デジタル絵巻
凸版印刷と立命館大/インターネット上/共同研究スタート
凸版印刷は立命館大と共同でインターネット上で「源氏物語」の共同研究を開始した。関西地区の複数の大学の文系・理系の研究者約十人と凸版の技術者二人が参加、インターネット上で世界中の研究者が同時に共同研究できる環境をつくる。凸版は電子出版物や電子図奮館・博物館の開発、文化・芸術のデジタル化によるマルチメディア事業ヘノウハウを蓄積する。
共同研究のシステムは立命館大理工学部の池田秀人教授が開発した多地点会議システムや静止画の三次元(3D)化表現手法に、凸版のデータベースや画像処理などの技術を組み合わせる。「源氏物語」の用語説明や登蝪人物の関係などをすべてデータに分解して再構築し、文字情報や読み上げの音声、高精細画像などで電子図書館とする。物語の舞台となった御所や町の様子を3D画像で再現した仮想体験館も構築する。研究開発期間は九九年三月末まで。研究開発費の一億円は凸版が拠出する。期間中は專用ソフトなどを使った関係者だけの研究となるが、期間終了後は世界中のだれもが自由に参加、共同研究できる「サイバー研究所」の開設を目指す。
1年目(1995.
9.30〜1996. 9.30)
2年目(1996.10.
1〜1997. 9.30)
4年目(1998.10.1〜1999.12.31)
5年目(2000.1〜12)
6年目(2001.1〜12)
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