源氏物語余情(2年目/1996.10.1〜1997.9.30)

1年目(1995. 9.30〜1996. 9.30)
3年目(1997.10. 1〜1998. 9.30)
4年目(1998.10.1〜1999.12.31)
5年目(2000.1〜12)
6年目(2001.1〜12)

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◎(76)97.9.29 「平成9年度・第10回源氏物語アカデミー」(主催d源氏物語アカデミー委員会、共催d武生市・武生市教育委員会)の参加者が募集されています(問い合わせ TEL 0778-23-3374)。内容は下記の通りです。
 期日d平成9年11月7日〜9日。
 会場d武生パレスホテル センチュリープラザ
 内容d源氏物語と四季
 費用dAアカデミー(7日) 無料
    Bアカデミー(8日) \2,000
 講師d朧谷寿・後藤祥子・福嶋昭治・冷泉貴実子
                             (情報提供d中川照将氏)

◎(75)97.9.19 中村康夫氏の『国文学電子書斎術 ーコンピュータに何をさせるかー』(平凡社、1997.8.11)が刊行されました。

 本書は導入部からもわかるように、「いかがでしょうか。」「あなたはどちらでしょうか。」と、優しく問いかけるスタイルで語り出されています。少し専門的な語句には脚注で補足説明があり、コンピュータと国文学の問題に興味を持つすべての人が読めるようになっています。
 具体的に紹介されている国文学関連のデータベースは、「古典人名データベース」「二十一代集データベース」などです。国文学研究資料館で実際にデータベース作成の主導的役割を果たしておられる立場からのお話だけに、データベースを作成する側からのさまざまなノウハウやヒントが満載されています。漢字文化圏ならではの苦労話も、楽しく読めます。
 本書末尾は、つぎのことばでしめくくられています。

 国文学研究は、かくして広く能率的になります。しかし、これを深い思索の中に意味を透過させていくのは一人ひとりの問題意識と知性の豊かさにほかなりません。コンピュータが研究を標準化するなど絶対にあり得ない所以(ゆえん)です。(179頁)

 なお、私が是非とも述べてほしかったことが、本書の「はじめに」と「あとがき」に記されていました。中村氏には何度もはげまされ、今も親しくご教示を受けることの多い私としては、これがなければ、と思うものです。長文になりますが、あえて二カ所を引用させていただきます。
 まずは、研究にコンピュータを利用するにあたって、過度の期待を持たない方がよいということに関して。

 コンピュータを使うことによって、こんなに画期的な研究が発表されたなどというようなことは、初めから望むところではありません。画期的な索引が刊行されても、それを使いこなす人がどれだけいるでしょうか。そして、使いこなしたところで、せいぜい新しい用例が数例見つかるという程度のことで、その見つかった用例を研究成果にしっかり位置づけていく高い論理は、当然のことながら索引の仕事ではありません。データベースも、研究を支援する機能という意味ではほぽ同様です。(7頁)

 コンピュータはわれわれの研究活動を支援するものである、という認識は、これからも大切な了解事項だと思います。次に、コンピュータを活用した研究の位置づけについて。

 思えば、高校の教壇に立っていた二〇年前に、電卓に少しプログラミング機能のついた機械で成績処理をしたのがコンピュータなるものとのつきあい初めで、それから間もなくBASICで動かすマイコンの時代に入ったが、そのころにはカタカナのデータが処理できるようになっていた。パソコンレベルで漢字が処理できるようになるには、それから五年程度かかったような気がする。
 冬のボーナスでコモドール社のPETを購入した。価格は外部記憶装置のテープレコーダを含めて三〇万円を少し越えた。当時の年齢と給与の額を考えれば、無謀な金銭の使い方をしたものだと思う。その頃古書を見る目があっていいものを手に入れていたら、今頃はもう少し国文学者としていい仕事をしていたかもしれないなどと思わぬわけではないが、それでは今の自分はなかったのだと思って慰めることにしている。
 そんなふうなこともあって、時代の流れにも助けられながら、国文学研究の仕事を少しずつコンピュータにのせていったけれども、私の周辺は私のこの作業をほとんど積極的には評価しなかったような気がする。そんな時間があったら論文も読み、原稿も書き、業績をあげることこそ必要であると、たぶん、親身になって考えてくれた人ほどそういいたげであった。こういう無理解は、一定の年齢以上の、早くからコンピュータに手を染めた国文学者ならば、必ず経験しているのではないだろうか。
 今日も、パソコンは自分の仕事の外に置きたいと考えている国文学者は少なくない。無意味だというよりも、そこで役に立つと思えるほど修得することに要する時間が見つけられないというのが、理由の半分くらいだと思う。さらには、頑張って修得したところで自分の研究がどれほど実質的に進むだろうかという懐疑的な思いも強いだろう。たしかに、コンピュータ上の作業だけで研究の基礎作業が組み立てられるかといえば、まず世の中にあるデータが少なすぎる。そこにはまだ図書館を感じるほどの知識容量がない。だから中途半端な作業にしかならないという思いが先行してしまうというのも偽らざる実状である。(183頁)

 同じ時代を歩み、試行錯誤の中で勉強を続けている私も、同感することが多い部分です。そして、身近に理解者が多い今の自分の環境を、あらためて幸運に思っています。

 さて、コンピュータを活用した文学研究といっても、一般的には言葉探しに終始しがちです。語学ではなくて文学の立場からのアプローチに、コンピュータがどれだけ力を貸してくれるのでしょうか。現状では、その有効な利用方法が模索中であることもあって、国文学の上での明確な成果とでも呼べるものは少ないようです。私なども、いつも遠回りをしていることの不安を抱えながら、それでも新しい解決策を求めて時間と資金と労力を投入しています。
 先を見通せる賢明な研究者がコンピュータに手を出さないのは、それはそれで頷けることです。今は割に合わないことであるのは、自明の理だからです。しかし、本書『国文学電子書斎術 ーコンピュータに何をさせるかー』を読むことによって、新たなチャレンジに奮い立つ若い人が現れることを楽しみにしたいと思います。


◎(74)97.8.21 渋谷栄一氏の「源氏釈の研究〔資料編〕」が全巻完結しました。平成元年以来、『高千穂論叢』に連載されていた「源氏釈の研究〔資料編〕」は、9年越しの29回の連載で54巻を整理し終えたことになります。第1回目の資料掲載誌とともに添付されていた手紙には、次のような一節があります。

 今更、諸本集成の必要性もないのですが、「源氏釈」所引の「源氏物語」本文とその系統及び性格、また「源氏釈」の注釈内容についての原典との再確認や注釈史的意義について、まだ未検討の部分もありますようなので、わたくしなりにメモしておいたものをまとめたような次第です。(平成2年2月26日付)

 「源氏釈の研究〔資料編〕」は、『源氏物語』の本文と古注釈を研究する者のみならず、幅広い分野からの利用が可能な貴重な資料編となっています。研究者として、そして友人として、この場を借りてお祝いと慰労をしたいと思います。
 連載が開始された平成元年は、『源氏物語別本集成』がスターとした年でもあります。早々と「源氏釈の研究〔資料編〕」の原稿が完成しているのを目にしていただけに、諸般の事情でその一部が少しずつ印刷に回っていることに心を痛めていました。そして、『源氏物語別本集成』が参照資料の一部にあげてあったこともあり、できることならこの「源氏釈の研究〔資料編〕」に遅れることなく『源氏物語別本集成』の刊行も先行できるように努力していました。しかし、いつしか渋谷氏のほうが順調に巻を重ねていき、ここにめでたく完結ということになったのです。

 『源氏物語』の全巻をカバーする仕事は、とにかく根気が要ります。さらなる計画が予定されてもいるようなので、ますますの活躍を楽しみにしたいと思います。
 なお、渋谷氏のホームページのアドレスは以下の通りです。壮大な世界が展開しています。ぜひ訪問して見てください。また、「源氏釈の研究〔資料編〕」の入手方法についても、氏のホームページを通して問い合わせられたらよいかと思います。
  http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/


◎(73)97.8.13 第7回紫式部文学賞は、村田喜代子氏の『蟹女』に決まりました(朝日新聞97.8.12)。昨年度は、田中澄江氏の『夫の始末』、一昨年度は吉本ばなな氏の『アムリタ』でした。この文学賞は、京都府宇治市が女性作家に贈るものです。

◎(72)97.4.22  『源氏研究 第2号』(1997.4.20、翰林書房)が刊行されました。今回の特集は「身体と感覚」です。刺激的な論稿が並んでいます。〈インターセクション〉という欄があり、そこに「CD-ROM『源氏物語』制作補記」(小山利彦)と、拙文「〈源氏物語電子資料館〉への招待」が掲載されています。


◎(71)97.4.12  本壁新聞の(69)で紹介した宮内庁式部職楽部(The Court Music Department of the Board of the Ceremonies of the Inperial Household Agency,Japan)の無形文化財「雅楽」を、大阪・中之島のフェスティバルホールで見てきました。いつも仕事を一緒にしている中村一夫氏と共に行きました。素人の雑駁な感想ですが、メモとして記しておきます。
 きっとよく寝るだろうと思っていました。しかし、最後までしっかりと見て聞くことが出来ました。昨日は東京の国文学研究資料館の会議に出席し、今朝、奈良の自宅に帰り、すぐに大阪大学での日本文学データベース研究会に出席し、そしてフェスティバルホールへ駆けつけるというハードスケジュールでした。楽しみにしていたこともあったのか、意外と元気に鑑賞できました。

 ・平調音取(ひょうじょうのねとり)

あっと言う間に終わりました。最後の笏の音一つが印象的でしたが、実はこれは箏の音だったそうです。いわゆる、本日の演奏を始めるに当たっての、調子合わせなのです。

 ・催馬楽 伊勢の海(いせのうみ)

「伊勢の海の 清き渚に 潮間(しほがい)に 神馬藻(なのりそ)や摘まむ 貝や拾はむ 玉や拾はむ」という歌詞を、音を長く引き延ばしながら歌います。言葉を追えないほど長く引きます。今聞こえている母音はどの語句のものだろうと、必死に耳を澄ましましたが、句頭の「伊勢の海」という独唱部分以外は、まったく言葉が掴めませんでした。笙の音が澄んでいたのが印象的でした。現在は、呂四曲、律二曲しか残っていませんが、江戸時代には六十曲もあったそうです。『源氏物語』では、「明石」巻で明石入道がこの曲を演奏しています。

 ・管 弦 越殿楽 残楽三返(えてんらく のこりがくさんべん)

「黒田節」の原曲とも言われるもので、私でもこのメロディーはついていけました。この管弦の合奏では、龍笛の次に羯皷(かっこ)が続き、笙・太鼓と順次楽器が加わっていく時に、少しずつ盛り上がっていくのが伝わってきました。ただし、一つずつ弾き終わっていく時には、時間を長く感じました。後列で笙を吹いておられた楽師さんが、しばしば楽器を火鉢に翳して炙っておられる姿には、曲に潜む暖かみを感じました。

 ・管 弦 陪月盧(ばいろ)

どこかで聞いたことのある曲だったのですが、結局思い出せません。

ここまでが、第1部ー管弦の部で、30分があっという間でした。20分の休憩の後、第二部ー舞楽となります。

 ・管 弦 春鴬囀一具(しゅんのうでんのいちぐ)

 第二部では、唐楽の大曲である「春鴬囀一具」が30年ぶりに上演されました。『源氏物語』の「花宴」巻や「少女」巻に出てくることで知られるものです。「花宴」では、二十歳の光源氏が宮中の南殿の花見の宴でこの曲を舞います。ライバルである頭中将は「柳花苑」を舞います。
 この曲は、本日のメインイベントです。6人の舞人が襲装束で登場し、上着に当たる袍の両肩を脱いで舞います。普通は「颯踏」「入破」の二つが上演されるだけだそうですが、今回は全曲八章(一具)が1時間にわたって演奏されました。この全曲演奏が30年ぶりだということです。
 曲に多少の変化はありましたが、舞は同じパターンと思えるものの繰り返しのように見えました。専門的に見れば違うのでしょうが、私の素人目には、そのように見えたのです。
 「壹越調調子」「遊声」「序」ときて、「颯踏」あたりで少し眠気が来ました。そんな時、舞台左手の真ん中の舞人の方の衣装が気になりだしました。袍の下から膝あたりに垂れて見えるはずの「忘緒」が見えないのです。他の5人の舞人は、みんな袍の前が短いエプロンのように下半身を膝の上まで覆うようになっているのです。しかし、その方だけは、内側に折り込んでいた袍の前面下部が、膝下まで下りているようです。6人の内でも一番背が高い方なので、意図的にこのようになっているのかとも思いましたが、パンフレットの表紙写真が今回の出演者の方々のものだったので見比べると、その方の衣装は写真ではみんなと同じ長さで膝上を覆っています。締め方が緩かったために垂れ下がったものなのだろうかと、眠け覚ましも兼ねて考えていました。後で中村氏は、前列右の方の裾が足にまとわりついていたので、それを舞人が蹴る仕草が気になってしょうがなかったと話してくれました。

 終了後、みなが席を立って帰ろうとする時に、ちょうど私のうしろにいた年輩の女性数人が、
  「もうおわり?」
  「終わりなんですか?」
  「おわりなんか?」
  「わからん!」
と仰っていました。感じとしては、場内の三分の一方は、このような気持ちだったのではないでしょうか。

 なお、『源氏物語の音楽』(金田一春彦構成監修、多忠麿音楽監修、関弘子朗読、東京楽所演奏、平成3年、日本コロンビア、COCF-7890)というコンパクトディスクがあります。この中に、「花宴」巻で「春鴬囀」の「入破」が、「明石」巻で「伊勢の海」が収録されています。心落ちつく一枚です。


◎(70)97.4.2  昨年新春に本壁新聞で紹介した「(13)96.1.11 保坂本源氏物語(伊井春樹編、おうふう)」の第12巻が刊行されました。これで、全12巻の複製本が完結し、あとは索引編が今秋刊行されるのを待つのみとなりました。東京国立博物館蔵の重要美術品の影印版であり、後半の36帖は鎌倉期の古写本で、いわゆる別本とされる本文を持つものとして注目されているものです。
 遅れに遅れている源氏物語の本文研究に、有益な資料が加わりました。若手による本文研究が活発になることを期待したいと思います。
 第12巻は、「蜻蛉」「手習」「夢浮橋」巻と、別冊一(東京大学総合図書館蔵源氏物語浮舟)・別冊二「保坂本源氏物語解題」がセットになっています。「解題」(伊井春樹著)の目次を以下に揚げておきます。

  一 保坂本源氏物語(東京国立博物館蔵)の伝来と書誌
  二 保坂本源氏物語の本文の性格
  三 保坂本源氏物語の表現b「けはひ」と「けしき」
  四 東京大学図書館蔵浮舟について


◎(69)97.3.29 来月4月12日(土)の午後6時から、宮内庁式部職楽部の無形文化財「雅楽」が大阪・中之島のフェスティバルホールで行われます。内容は以下の通りです。

     平調音取(ひょうじょうのねとり)
 催馬楽 伊勢の海(いせのうみ)
 管 弦 越殿楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんべん)
 管 弦 陪月盧(ばいろ)
 管 弦 春鴬囀一具(しゅんのうでんのいちぐ)

この中で注目すべきは、『源氏物語』の「花宴」巻や「少女」巻に出てくることで知られる、舞楽の大曲である「春鴬囀一具」が三十年ぶりに上演されることでしょう。今回演奏する楽部は、文武天皇の大宝元(701)年に遡る由緒あるものですが、今の宮内庁式部職楽部は、明治3(1870)年に奈良・京都・大阪・東京の楽人を集めて復興された雅楽寮が淵源となっているものです。宮中の儀式や園遊会・歌会始で演奏されるのでご存じでしょう。管弦楽の演奏も行うので、クラッシック演奏における最古の団体でもあります。

私は1階の〈K-R18〉で鑑賞します。よろしかったら、終演後にでもお声をかけてください。雅楽には詳しくないので、いろいろと教えていただけると助かります。
 なお、公演の問い合わせはフェスティバル協会(06-227-1061)へどうぞ。


◎(68)97.3.22 『新日本文学大系23 源氏物語五』(柳井・室伏・大朝・鈴木・藤井・今西編、岩波書店、1997.3.21)が刊行されました。これで、1993年1月に第1巻が配本されてから4年がかりで『新大系 源氏物語 全5巻』が完結したのです。
 校注者6名は1930年〜1946年生まれで、現在第一線で活躍中の先生方です(大朝雄二先生は1994年7月に急逝されました)。学生時代に山岸徳平先生が校注なさった旧大系本で『源氏物語』全巻を読み通し、さらには先生の授業を受け、写本の調査にあたっては紹介状を書いていただいたことのある者にとって、〈岩波の大系本〉が一新したことにはある種の感慨があります。
 室伏信助先生から、そのお仕事の一端をお伺いすることが幾度かありました。私も『新大系』の底本である大島本を直接調査させていただき、その時のメモを参照しながら『源氏物語別本集成』の対校本である大島本を翻刻しています。『新大系』の巻末付録の「大島本『源氏物語』(飛鳥井雅康等筆)の本文の様態」は、配本される度にまず目を通していました。そして昨春は、『新大系』の底本である大島本の複製本が刊行されました。
 これで、現在流布本として読まれている『源氏物語』は、その基礎資料のほとんどが提示されたことになります。私は、大島本とはいったいどのような位置付けをすべき本なのか、これからじっくりと考えたいと思います。

 〈各巻所収 巻名解説・月報 一覧〉

 第一巻 桐壷〜花散里
    解説「物語としての光源氏」鈴木日出男
      「大島本『源氏物語』採択の方法と意義」室伏信助
      「大島本『源氏物語』の書写と伝来」柳井滋
    月報「『源氏物語』の建築 付「六条院推定復原図」」玉上琢彌
      「群像の表現」佐野みどり
      「地名散策第三十回(二条通)平安の夢の興亡」加納重文

 第二巻 須磨〜蛍
    解説「「みやこ」と「京」b平安京の遠近法b」今西祐一郎
      「光源氏の物語の構想」大朝雄二
      「大島本初音の巻の本文について」柳井滋
    月報「好色と政治性b戦国時代の『源氏物語』の流行b」脇田晴子
      「須磨明石の物語の既視感」山口博
      「地名散策第三十六回(須磨・明石)かかる所の秋なりけり」野中春水

 第三巻 常夏〜若菜下
    解説「若菜の巻の冒頭部について」柳井滋
      「歌と別れと」藤井貞和
      「さすらう女君の物語」鈴木日出男
    月報「源氏の講釈と読み癖」遠藤邦基
      「少女漫画としての源氏物語」大和和紀
      「地名散策第四十三回(大原野)神代のことも思ひ出づらめ」美濃部重克

 第四巻 柏木〜総角
    解説「鈴虫はなんと鳴いたか」今西祐一郎
      「続編の胎動b匂宮・紅梅・竹河の世界b」室伏信助
      「薫における道心と執心」鈴木日出男
    月報「日仏草子地論議」中山眞彦
      「ふたつの出会い」上田真而子

 第五巻 早蕨〜夢浮橋
    解説「明融本「浮舟」巻の本文について」室伏信助
      「「源氏物語」の行方」今西祐一郎
      「世界の文学として読むために」藤井貞和
    月報「誘い込みの技法」小松英雄
      「『源氏物語』と一葉」幸田弘子


◎(67)97.3.21 『土井本 太平記 本文及び語彙索引 五冊揃』(西端幸雄・志甫由紀恵編、勉誠社、平成9.2.25、\92,000)が刊行されました。この土井本の本文は、流布本系統の古い平仮名書きの完本です。早速、「源氏物語」という語句を調べてみました。
 まず『同 索引編1あ〜さ』を引くと、「げんじ」の項に次の二例が見つかります。

  げんじ【源氏・物語名】(18)0731,(22)0410

 続いて、この巻数と通し番号を手がかりに『同 本文編』を繙くと、次の二つの文章が確認できました。共に、『源氏物語』の「橋姫」巻と「帚木」巻の受容を示すところです。

 ・(仮名書き本文)「あるときくはんはくさ大しんのいへにて、なまかんたちめ、てん上人あまたあつまりて、ゑあはせのありけるにとゐのさ大しやうの出されたりけるゑに、げんじのうはそくのみやの御むすめ、すこしまきはしらにゐかくれてひはをしらへ給ひしに、くもかくれしたる月のにわかにいとあかくさし出たれは、あふきならても、まねくへかりけりとて、はちをあけて、さしのぞきたるかほつき、いみしく、らふたけて、にほやかなるけしき、いふはかりなく、ふてをつくしてそ、かきたりける。」(本文編上巻692頁)
  (意味付け本文)「ある時、関白左大臣の家にて、生上達部・殿上人あまた集まりて、絵合はせのありけるに、洞院左大将の出だされたりける絵に、源氏の優婆塞宮の御娘、少し真木柱に居隠れて琵琶を調べ給ひしに、雲隠れしたる月の俄かにいと明く差し出でたれば、扇ならでも招くべかりけりとて、撥を上げて差し覗きたる顔つき、いみじくらふたけてにほやかなる気色、言ふはかり無く筆を尽してぞ書きたりける。」

 ・(仮名書き本文)「これはぐはんらいゐなか人なりけれは、ものねたみ、はしたなく、心たけ/\しくて、かのげんじのあまよのものかたりにとうのちうしやうのゆびをくひきりたりしありさまとも、おほかりけり」(本文編下巻839頁)
  (意味付け本文)「これは元来田舎人なりければ、物妬みはしたなく、心猛々しくて、かの源氏の雨夜の物語に、頭中将の指喰ひ切りたりし有様ども多かりけり。」

 またさらに、「光源氏」を引くと、次の二例が見つかります。

  ひかるげんじのたいしやう【光源氏大将】(12)0253,(17)1262K

 本書には、別途CD-ROM版の『土井本 太平記 本文及び語彙索引』が用意されています。まだ私は手にしていないのでコメントできないのですが、本書の成り立ちからは当然の配慮でしょう。作品の正確な翻刻本文がこのように簡便に検索できるのです。文学語学の研究領域と研究方法にとどまらず、作品の受容形態そのものが、今後ますます面白くなることを痛感するこのごろです。
 『源氏物語』の総索引という仕事を抱える身としては、常に索引のあるべき姿が気になっています。そんな折に、本書からまた色々とヒントをいただきました。


◎(66)97.3.13  昨年末の壁新聞(61)で紹介した 「千年の恋 ー源氏物語のヒロインたちー」という展覧会の詳細が、『アサヒグラフ3907号』(朝日新聞社、1997.3.21)に紹介されています。各界で表現の達人といわれている人が、『源氏物語』に登場する女性15人の着物をデザインし、その部屋を演出したものです。「『あさきゆめみし』私の源氏物語」と題する大和和紀氏の文章も掲載されています。
 東京でしか開催されなかったものだからでしょうか、いかにも都会といわれる所を生活の舞台にする人のセンスであることが、グラビアから伺われます。原作から遊離し、自分勝手で浅薄な思い込みから人目を意識した演出をする、という面が、露骨に紙面に展開されています。この手の陳腐なグラフィックにお金をかけて話題を作ろうとする企画は、もうこれくらいにしては、と思っていますがどうでしょうか。『源氏物語』の受容に興味を持つ一人としては、このような軽薄な受容形態がいまだにマスメディアを通して喧伝される意味を大切にしたいと思い、ここに記録として留めておくことにします。
 次は、関西版を期待しましょうか。私なら、関西で活躍する表現の達人によるもの以外に、いわゆるカルチャーセンターで『源氏物語』を読んでいる〈おばちゃん〉たちが仕掛ける演出に興味があります。どなたか、こんな企画をなさいませんか。


◎(65)97.2.14  日本文学データベース研究会(NDK)のホームページをご存じでしょうか。
 http://ndk.let.osaka-u.ac.jp/
 日本文学研究の分野でこんな活動がなされていることに、きっと驚かれることと思います。十数年のキャリアをベースにして、意欲的な取り組みがなされています。
 その中でも、今月からスタートした、『源氏物語』の本文をオンラインで検索するコーナーは、ぜひ多くの方々に体験していただきたいものです。ある語句が、どの巻に何例あるかが、写本別にわかります。諸権利の問題もあり、検索結果は『源氏物語別本集成』の文節番号と該当する語句のみが表示されます。詳しくは刊行中の本で、ということです。しかし、これだけでも文学研究においては、画期的なことではないでしょうか。とにかく、『源氏物語』の写本に記された正確な字句を知ることができるのです。知りたい言葉が、どの写本のどこにあるのかがわかるのです。これまでの『源氏物語』の索引は、あくまでも翻刻された活字本の語句しか調べることができませんでした。その垣根が、ようやく取り払われようとしています。 
 研究者を対象とした『源氏物語』本文のデータベースとなっているために、検索のための語句を指定するのに少々コツが要ります。しかし、そこは、古典・古語を読み解く上でのテクニックでもあり、利用者の腕の見せ所でもあります。
 このオンラインデータベースは、まだスタートしたばかりです。使い勝手や要望などは、『源氏物語』データベース検索の画面の下にある〈赤いポスト〉をご利用ください。開発責任者の中村一夫氏およびNDKのスタッフが、誠意を持って対応するはずです。
〈お願い〉
 『源氏物語別本集成』は、入力したデータを自動組版作成プログラムで処理をして、本文と校異の紙面を編集しています。ただし〈第一巻 桐壷〜夕顔〉については、〈昭和63年版〉の本文編・校異編ともにデータの重複・欠落などの不備があったために、発売元がその全てを回収し、〈平成元年版〉と取り替えさせていただきました。
 しかしながら、図書館や古書店に回収洩れの一部がまだ残っているようです。〈平成元年版〉以降は、データ処理の技術的な向上を実現するとともに、青表紙本を明融本から大島本に変更し、また『源氏物語大成』の頁行数を付記するなど、大幅な紙面の変更を行なっています。
 誠に恐縮ではありますが、お手元の『源氏物語別本集成』の〈第一巻〉の奥付が新版の〈平成元年版〉であるかどうか、今一度ご確認いただければ幸甚です(文責d伊藤鉄也)。


◎(64)97.2.12 色彩陶器による京焼絵巻ともいえる永楽善五郎氏の作品展が、フランス・パリの三越エトワール美術館で始まりました(1997.2.11〜4.19、朝日新聞社主催)。源氏物語を題材にした茶陶の世界が、今パリに展開しているのです。昨秋は、パリで日本刺繍による源氏物語展が開かれ、伊井春樹先生が『源氏物語』の公演をなさいました(本壁新聞の(49・56)を参照)。『源氏物語』の世界が、多くの外国の方々にどのように映っているのか、知りたいところです。
 さて、永楽氏の京焼源氏の展覧会は、昭和63年3〜4月の一ヶ月半にわたり、日本の各地で開催されました。東京・京都・大阪・横浜の高島屋で、今回と同じく朝日新聞社の主催でした。あいにく私は見られなかったのですが、その時の図録は入手しました。今、写真集の『永楽善五郎 源氏五十四帖と歴代展』(永楽善五郎・中西豊造・大原永資 監修、朝日新聞社、昭和63年3月)を眺めています。すぐにでもパリに飛んで行き、自分の目で五十四作品をしっかりと見たい想いでいっぱいです。私は松風巻をテーマにした〈松琴の絵巻物形八寸皿〉が大好きです。問題のない範囲で、図録の一部を転載します。本〈源氏物語電子資料館〉は、海外の方もご覧になっているようです。パリを通過なさる際には、少し足を留めて見ていただきたいものです。そして、また国内でも開催してください。


◎(63)97.1.29 京都の宇治市に〈源氏物語ミュージアム〉ができるそうです。開館予定は来年の秋頃。そのための映画を篠田正浩監督が制作するとのこと。テーマは「宇治十帖」で、浮舟を主人公にした15分の作品になるもようです。制作費は1億4千万円(朝日新聞より)。何よりも、配役が楽しみです。もっとも、依頼者と上映場所および制作意図を考えると、あまりドラマとしての期待はできないように思えます。宇治という場所のプロモーション映画という程度に理解しておきましょうか。それでも、監督が篠田さんなので、もう少し凝った趣向が盛り込まれるかもしれません。


◎(62)96.12.25 寂聴訳『源氏物語』の発刊を記念して、『瀬戸内寂聴と源氏物語』展が開催されています。
 会場d東京日本橋三越
 期間d12月24日(火)〜31日(火)
 内容d寂聴源氏関連の生原稿・ゲラ・石踊達哉「源氏物語五十四帖」の原画など


◎(61)96.12.24 「千年の恋 ー源氏物語のヒロインたちー」と題する企画があります。
 チラシより下記に転載します。

恋する時のせつなさやときめきは、
今も雅な平安の昔も変わりありません。
絵心や遊び心にあふれた表現の達人たちが、
源氏物語のヒロインのイメージを
着物にデザインし、照明、美術品、
テーブルコーディネートで部屋をつくります。

 

会場d赤坂プリンスホテル・新館2階クリスタルパレス
時間d10d00〜19d00(講演11d00〜、14d00〜)
期間d平成9年2月24日(月)〜3月2日(日) 入場料d3,500円
主催d光源氏事務局(TEL3585-7288)
代表d白州正子  構成d四方義朗  演出d川瀬敏郎
着物制作d千總、あーとにしむら

〔出展者のトークスケジュール〕 大野晋氏が午前と午後の2回、出演者と対談。
出展者はなぜこのヒロインを選んだのか、好きな理由、性格、暮らしぷり、意外な一面等。

       午前11:00〜           ,午後14:00〜
2/24(月) 林真理子(小説家)朧月夜      ,内館牧子(小説家)浮舟
2/25(火) 松本忠子(料理研究家)花散里    ,芳村真理(司会者)明石の君
2/26(水) 川瀬敏郎(花人)葵の上・六条御息所 ,工藤静香(歌手)若紫
2/27(木) きよ彦(着物作家)藤壷の宮・末摘花 ,島田恭子(陶芸家)紫の上
2/28(金) 大和和紀(漫画家)紫の上・玉蔓   ,植田いつ子(服飾デザィナー)藤壷の宮・六条御息所
3/ 1(土) 岸田夏子(画家)朧月夜・浮舟    ,玉村豊男(工ッセイスト)朝顔の姫君
3/ 2(日) 伊集院静(小説家)空蝉       ,奥田瑛二(俳優)女三の宮

*大野晋(学習院大学名誉教授):源内侍(着物出品) 白州正子:夕顔(着物出品)


◎(60)96.12.10 (長文注意)『日本古典への招待 ー古典を楽しむ九つの方法』(田中貴子、平成8・11、ちくま新書)に引用されている『源氏物語』の本文のうち、別本「御物本」として紹介されているものは、実際には「陽明文庫本」の独自異文の箇所である、という指摘をお寄せいただきましました。
 私もその本は読んだのですが、引用された本文が実際とは違うことには気付きませんでした。別本を研究対象とし、別本本文を研究する若者の出現を心待ちにしている一人として、問題の箇所を再確認してみました。以下は、私なりのその報告です。重箱の隅を突っつく気持ちは毛頭ありませんし、著者である田中氏とは一面識もなく他意はございません。ただ、別本の本文の正確な姿を知ってほしいと願う一念で、この〈源氏物語電子資料館〉の壁新聞に取り上げました。
 引用本文以外の文章については、異文が発生する過程を7頁にもわたって分かり易く説明してある上、「写本というものは、つねに原本の忠実なコピーではなく、写す人の恣意的な判断や能力によっていくらでも変わってしまうということを覚えておいてほしい。(193頁)」ともおっしゃっています。一般的な読者、それも若者を相手にこのような内容を語る田中氏の心意気に、大いに拍手を贈りたいと思います。くどいようですが、私が以下で問題にするのは『源氏物語』の引用本文の不正確さだけであって、本書全体は古典への入門書としてお薦めできる新書だと思っています。
 さて、問題の箇所は、〈第八章『源氏物語』は誰がかいたのか?〉の中の「第三の『源氏物語』」の一節にあるものです。
  さっきの冒頭部分を、別本「御物本」と比べてみようか(195頁)。
として、第1巻「桐壷」の書き出し部分が引用されているところです。
 引用文中にある「おはしけり」「本より」「など」「やすからぬ事おほく思ひつむるままに」「に」「/\」「とも」などに傍線が施されています。私が『源氏物語大成』と『源氏物語別本集成』および手持ちの資料を用いてちょっと調べたところ、N氏のご指摘の通り、この引用本文は御物本ではなくて陽明文庫本でした。さらに詳しく検討したところ、陽明文庫本と思われるものを下敷きにした混成本文となっていることが分かりました。
 具体的な例を示して、引用されている本文の素性を探ってみましょう。少し専門的で些細な違いを問題にしているように思われそうですが、本文の実態を確認することは、文学研究においては最も基礎的なことだと思っています。本文が確定してはじめて作品が読めるのですから。古典作品を読む場合は、自分が今読んでいる本がどのような素性の物なのかを、もっと知っておくべきだと思います。また、『日本古典への招待』のこの章は、その本文の活字本と写本の間に横たわる問題を取り上げておられるので、私としても少し拘ってみました。
 さて、調べてみて、いろいろなことが分かりました。当該引用文中に傍線が施してある「おはしけり」「など」「とも」の箇所は、陽明文庫本だけが伝える独自な異文であって、田中氏が出典とされる御物本とは大きく違うところであることが確認できました。「やすからぬ事おほく思ひつむるままに」のところは、陽明文庫本と伝阿仏尼筆本が持つ独自の異文です。傍線がないところでは、「給ける」も陽明文庫本だけの独自な異文です。
 ところが、「に」と「/\」に傍線がある箇所は、共に国冬本が伝える独自異文になっているところです。また、傍線のない「いよ/\あはれなる物」も国冬本が持つ独自異文のところです。
 御物本の独自異文箇所は「本より」だけで、諸本はすべて「はしめより」となっています。ただし、御物本は「本」を見せ消ちにして、その横に「はしめ」と添え書きをしています。なおここは、今は見られない従一位麗子本が「本より」という同文を伝えていました。
 田中氏の引用本文中の傍線のない箇所で、御物本ではそうなっていない箇所は次の例です。
 「かた/\は」の「は」は御物本・大島本・尾州家本・従一位麗子本にはない語です。
 陽明文庫本でも御物本でもない語句も見えます。例えば田中氏が御物本として引用された「給なかに」は国冬本・尾州家本・従一位麗子本の本文がそうなっていて、御物本と陽明文庫本などは「給けるなかに」となっています。
 一方、引用本文の「心をうこかし」は陽明文庫本・国冬本・肖柏本・三条西本の独自異文ですし、「物心ほそけにて」とあるところは御物本と国冬本の独自異文です。
 以上によって、田中氏が引用されている御物本本文は、陽明文庫本・国冬本・尾州家本・伝阿仏尼筆本・従一位麗子本そして御物本による混成本文となっているものであり、明らかに御物本の引用紹介でないものなのです。田中氏は、新たな異文を作られたことになります。
 この引用本文は、一体どのようにして作られたものなのでしょうか。結局、私には分かりませんでした。
 ついでに、引用されている他の本文も確認してみました。
 「もっとも一般に知られている「青表紙本系」と呼ばれる一本の、たぶんみなさんからいちばん縁遠いナマの姿を示してみよう。(185頁)」として引かれている「桐壷」の巻頭部分は、どうやら『源氏物語大成』が底本として採用した〈伝二条為明筆 池田本〉の引用のようです。「給ひけるなかに」の「ひ」は衍字でしょうし、「あさゆふの宮つかへに」の「の」が脱落しているのは校正漏れだとしてですが。
 次に、それを読みやすくしたものとして『日本古典文学大系』(岩波書店)の本文があげてあります(186頁)。これは、昭和33年版の山岸徳平氏の校訂になるものからのようで、その底本は、宮内庁書陵部蔵の〈三条西実隆筆本〉です。これは、青表紙証本とされていたものですが、今はこの本文は少し問題があるとして、平成5年より刊行中の『新日本古典文学大系』では、底本を古代学協会蔵で〈飛鳥井雅康筆本(通称・大島本)〉に変更されています。なぜ、今は入手しにくい旧版の本文を例示されたのでしょうか。
 さて、写本のままを翻刻したものとして紹介された〈伝二条為明筆 池田本〉を、さらに読みやすくした例にあげられた本文が旧版の『日本古典文学大系』の底本の〈三条西実隆筆本〉であるというのは、どういうことなのでしょうか。たまたま、引用された部分には両書に本文の異同がないので良かったのですが、これは説明のための引用としては危険な例となっています。また、些細なことですが、『日本古典文学大系』の引用として示されたものには、「ときにか」「やすからず」は「時にか」「安からず」が正しく、「同じ」は「おなじ」が正確な引用です。「人の謗りをも。」の「。」は「、」の誤植なのでしょう。こうした齟齬は、著者が言おうとなさることに関係はないのですが、古典作品の写本と活字本の一字一句に拘る内容のところだけに、引かれている本文の杜撰さが気になります。普通に読めば何でもないところなのですが、拘って引用された物語本文を確認してみたために、こんな感想を持ってしまいました。ここは、今主流となっている〈大島本〉の翻刻本文を示し、それを元にして校訂された『新日本古典文学大系』の本文をあげるべきところではなかったかと、いらぬお節介かもしれませんが、そう思いました。
 ついでに、その他に気になったことを一二あげておきます。
 写本で字形が似ているために書き誤るものとして、「支」を崩した「き」と「末」を崩した「ま」の例があげてあります(190頁)。しかし、私がいろいろな写本を読んできた印象から言えば、この字形に起因する書き誤りは比較的少なく、例示としてはあまりよいものではないように思います。それより、「以」「八」「比」や、「宇」「己」「曽」「良」「呂」の崩し字の紛らわしさを示した方が、入門者にはわかりやすいのではないでしょうか。なお、写本で混同しやすい文字の一覧は、『変体平仮名演習』(笠間書院)に14頁にもわたって網羅されています。
 さらには、「もっとも多く読まれ、信頼するに足るとされている「青表紙本系」だって、定家の手が加わっているんだ。」と断定されています。しかし、そのことを実証できないものかと日夜諸本を比較対校している一人としては、あまりにも無責任な文章ではないかと思っています。もうこの辺でやめた方がいいのでしょうが、この章の最後に「もっと知りたい人のために」の項に紹介されている『古典の批判的処置に関する研究』という本は、古典本文を研究する専門家が読むものであり、この手の入門書で薦める性格の本ではないように思います。
 書き出したら止まらなくなり、揚げ足取りの印象を与えたのではないかと心配しています。田中氏の『日本古典への招待』は、筆者が読者として想定している女子大生に、私もぜひ読んでいただきたいと思う本です。「あとがき」の最後に「一人でも多く、古典の泥沼に引きずりこんでやりたいものですなあ、ひっひっひっ。」とあります。少し下品な表現かな、とも思いますが、この大阪流のノリには、私も同感です。ふムふムふム。妄言多謝

◎(59)96.12.06 第18回角川源義賞の受賞作三点の内、『王朝物語史の研究』(室伏信助、平成7・6、角川書店)所収の『源氏物語』に関する論稿をリストアップします。論題名の後のカッコは初出誌名、コメントは「あとがき」からの抄出です。

  • 第四章 源氏物語論
    ・「源氏物語の女性論」(『源氏物語講座』第五巻、有精堂、昭46)
    ・「空蝉物語の方法」(『講座 源氏物語の世界』第一集、有斐閣、昭55)
    ・「『夕顔』巻の位置」(「国語科通信」40号、昭和51・5)
    ・「源氏物語の発端とその周辺」(「國學院雑誌」、昭32・6)
  • 本論文と「源氏物語の発想法」とは旧漢字・歴史的仮名遣で書かれた最も古い学生時代の論文。今井源衛氏『源氏物語の研究』(昭37)に、きびしくかつ温かい批判を加えられたのが文学の側からの唯一の評価で、それ以外は松村武雄氏『日本神話の研究』第四巻(昭33)、西田長男氏『古代文学の周辺』(昭39)等に引用されたものはいずれも文学外の立場からのものであった。小論は風巻論の捉え直しの基底に、福田恒存氏『人間・この劇的なるもの』(昭31)の鮮烈なドラマ論が意識されていた。
  • ・「源氏物語の表現機構」(「むらさき」第27輯、平2・11)

  • 原題の副題を表題に改めた。現在も続行中の『源氏物語』の本文と注釈の研究の副産物。他に数篇ある同趣の論考は、『新日本古典文学大系源氏物語』全五巻(共著、現在三巻まで刊行、岩波書店)完成後にまとめて提示したい。
  • ・「源氏物語の構造と文体」(「國文學」・昭45・5)

  • 原題は「構造と文体b「葵」巻についての覚え書きb」
  • ・「源氏物語の構造と表現」(『源氏物語研究と資料b古代文学論叢第一輯』、武蔵野書院、昭44)

  • 構造論から表現論を生む試論であったと共に、文体論の袋小路からの脱出をもめざした。
  • ・「源氏物語の発想法」(「国語と国文学」、昭31・6)

  • 原題は「末摘花についてb源氏物語の発想法b」。最初の論文で、その骨子は日本文学協会古代部会の口頭発表(昭30・3)で示したが、益田勝美氏の批判を受け、今井源衛氏らの提言で継続討議が可決し、第二回目は今井氏の「末摘花の問題」(「日本文学」昭30・9)が発表された。若々しい活気に満ちた研究世界を知った最初の機会でもあった。拙稿を池田亀鑑氏が採用した意図は詳かではないが、氏の絶筆となった論考で、大内氏の源氏研究を再度採り上げたことに或る示唆を得ている。大内氏の本姓多多良氏と「末摘花」巻の「たたうめ」の出典「たたらめ」の語義考証は、小論の副産物ではあったが、この理会はその後『日本古典文学全集 源氏物語(一)』「末摘花」巻の頭注にほぼ全面的に容認引用され、『新潮日本古典集成 源氏物語(一)』、『新日本古典文学大系 源氏物語(一)』などにも踏襲されて通説化したと覚しい。今はただ奇縁を有難く思い返すばかりである。
  • ・「栄華への道」(「國文學」、昭62・11)
    ・「六条院の春」(『講座 源氏物語の世界』第五集、有斐閣、昭56)
    ・「光源氏の述懐」(『講座 源氏物語の世界』第六集、有斐閤、昭56)
    ・「光源氏と紫上の晩年」(「解釈と鑑賞」、昭55・5)
    ・「夕霧物語を読む」(「國文學」、昭61・11)

  • 原題は「源氏物語第二部b夕霧物語を読む」
  • ・「垣間見の表現性」(「國文學」、昭58・12)

  • 原題は「かいまみ」

  • ◎(58)96.11.27 第9回 西日本国語国文学データベース研究会 開催のお知らせ
        ・日時 1996年12月1日(日) 午後1時〜5時
        ・会場 大阪樟蔭女子大学 新館円形ホール(近鉄河内小阪駅より徒歩3分)
        ・参加 自由
        ・資料代 500円(当日いただきます、学生は無料です)

        ◎講演  樺島忠夫(神戸学院大学)「文章作成支援システムのデータベース」
        ◎発表 1.武原明子(東京大学大学院)
              「源氏物語」定家本と明融本の仮名表記について
                −本文研究におけるPC活用の一事例−
           2.田原広史(大阪樟蔭女子大学)
             中村一夫(大阪樟蔭女子大学 非常勤講師)
              ハイパーカードを用いた音声データベース検索
        ◎インターネットホームページの紹介
           1.田原広史(大阪樟蔭女子大学)
             ダニエル ロング(大阪樟蔭女子大学)
              日本語研究センター
               http://www.age.or.jp/x/oswcjlrc/index.htm
           2.志甫由紀恵(大阪明浄女子短期大学 非常勤講師)
             辻井孝子(同学生)
              大阪明浄女子短期大学ワールドワイドリサーチ部
               http://www.sakuranet.or.jp/~mjwwrc/index.html
           3.中村一夫(大阪樟蔭女子大学 非常勤講師)
             大谷晋也(大阪大学留学生センター)
              日本文学データベース研究会(NDK)
               http://ndk.let.osaka-u.ac.jp/
        おみやげ  上記インターネットホームページの抜粋

      DB−West事務局 大阪樟蔭女子大学日本語研究センター内
         〒577 東大阪市菱屋西4−2−26 TEL&FAXi06)729−1831
    ◎(57)96.11.18 私信です。本日、紅葉の始まりを思わせる、京都東山あたりの『源氏物語』に関係する場所を散策してきました。同行メンバーは、私が自主講座として社会人の方を対象にして公開している「源氏物語を読む」会の12名です。紅葉には少し早かったようですが、昨夜来の雨も上がり、寒さも感じない、すがすがしい一日でした。
     京都駅にお昼前に集合し、まず東本願寺の飛地境内である渉成園(枳殻邸)に足を向けました。ここは、源融の六条河原院の遺跡と伝えられている所です。左大臣融のその邸は、六条京極あたりに四町の広さを誇る大邸宅でした。『伊勢物語』の81段には、「むかし左の大臣(源融)いまそかりけり。賀茂河のほとりに、六条わたりに家を、いとおもしろくつくりて住みたまひけり。」とあります。『源氏物語』では、ここが六条御息所がいたあたりに比定されています。また後には、ここを光源氏が四季になぞらえて四町の理想的な邸宅とします。いわゆる、六条院の舞台となったと思われる地です。そんな六条御息所の邸と六条院の面影を求めて、渉成園へ行きました。
     案内書などには、渉成園へは東本願寺で参拝券(無料)をもらって行くように書かれています。しかし今は、直接渉成園へ行き、受付で住所・氏名を記入し、維持管理のための寄付をするようになっています。
     渉成園は、いつ行っても人影が少なく、のんびりと散策できる京の穴場だと思っています。大阪・天王寺の慶沢園を思わせますが、渉成園のほうが古典的な世界へ誘ってくれるのではないでしょうか。時あたかも紅葉の時期でもあり、『源氏物語』の「藤裏葉」で、冷泉帝と朱雀院が六条院へ行幸なさった折に、秋好中宮の西南の秋の町の紅葉の庭を眺める場面が連想されました。
     原文では、「神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり。紅葉の盛りにて……」と語り出され、「山の紅葉いづ方も劣らねど、西の御前(秋好中宮の町)は心ことなるを、中の廊の壁をくづし、中門を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせたまふ。」とある所です。
     なお、この文中の「中の廊」というのは、今も渉成園に残る「回棹廊(かいとうろう)」のようなものではないかと思っています。これは、檜皮葺きの唐破風屋根の橋の形をしたものです(右の写真参照)。この回棹廊は、自由に渡れますので、渉成園にお出での節には、ぜひ歩いて渡ってみてください。屋根が意外と低く、当時の人の背丈を実感するのにもよいと思います。
     この後、祇園の花見小路で食事をし、そのまま建仁寺の境内に入り、六道珍皇寺周辺の平安朝の火葬地に想いを馳せました。桐壷の更衣・夕顔・紫の上も、この辺りで荼毘にふされ、清水寺の下の鳥辺野に葬られたようです。
     次に、京都御所東にある廬山寺に行きました。ここは、角田文衛氏の考証によって知られる、紫式部の屋敷跡とされる所です。入り口の石碑に刻まれた、紫式部と大弐三位の和歌の変体仮名をみんなで読みました。くずし字が現代的なので、平安鎌倉の文字に親しんでいる我々には、少し違和感を覚えました。源氏の庭はいつもながらシンプルで、季節感が感じられませんでした。しかし、今回は一つ発見がありました。庭の正面左寄りに生える松の最上部に、紅葉したナナカマドが生彩を放っていたのです。感激しました。
     廬山寺の向かいの梨木神社で京の三名水を味わい、京都御苑を西に横切り、バスで烏丸二条へ行きました。バスを降りるとすぐ前に、お香の老舗「松栄堂」があるのです。私は、ここの「源氏かおり抄」というシリーズの香が好きです。今回は、「澪標」と「若菜下」を買い求めました。今、「澪標」を味わいながら、この拙文をしたためています。
     ここを出てから、向かいのインターネットカフェに入り、本〈源氏物語電子資料館〉を見たり、ルーブル美術館やオルセー美術館を散策し、夕闇の烏丸丸太町で別れました。
     今年の京の紅葉は、例年ほどみごとではないそうです。しかし、それぞれの雰囲気の中で、古都の秋のうつろいを肌で感じることができました。みなさまも、ぜひ京の秋を焚きしめてみてください。『源氏物語』を読むその時々に、豊かなイメージを育んでくれる源泉となることでしょう。
    ◎(56)96.11.16 パリで開催された伊井春樹氏の源氏物語講演会の様子をお伝えします。
     日仏会館で行われた外務省主催の講演会は、「100人のホールにフランス人が120人から130人ばかりつめかけ、後ろはずらりと立っているありさまで、関心の高さに驚きました。」とのことでした。また、「今度日本にシラク大統領が訪れますが、その折の通訳が私の通訳をしてくれ、適切な訳ですばらしく思った次第です。」ということです。ただし、『源氏物語』のフランス語訳で著名なルネ・シフェール氏との会談は、シフェール氏に所用ができたために実現しなかったようです。残念でした。
     いずれにしても、海外での『源氏物語』に対する注目度は、予想以上に高いようです。『源氏物語』がどのように受けとめられているのか、改めて調査してみたいと思います。本〈源氏物語電子資料館〉を海外からご覧になっている方や海外の様子をご存じの方は、簡単なものでも結構ですので、よろしかったらレポートをいただけませんでしょうか。適宜、このセクションで紹介させていただきます。
    ◎(55)96.11.15 本壁新聞の(21)で紹介した、関弘子さんの『源氏物語』の原文朗読の第9回分が届きました。「常夏」〜「藤袴」が収録されています。ますます快調のようです。
    ◎(54)96.11.15 待望の『新編日本古典文学全集 源氏物語4』が、やっと書店に並びました。「若菜上」〜「幻」までを収録しています。当初の予定では、本年6月となっていたので、どうしたのかと案じていました。次回配本は、明年6月ごろです。完結編の第6巻は1998年3月ごろとなっています。
    ◎(53)96.11.15 瀬戸内寂聴氏の訳になる『源氏物語 全十巻』(講談社)の刊行が開始されました。第1巻の奥付は12月11日発行となっていますが、一月前の今、〈有代見本〉として特定の書店に並んでいます。私も、2種類の帯(腰巻)を巻いた〈有代見本〉と記された本を見て、つい店員さんに尋ねました。この言葉は従来から使われており、展示して予約を取る本などで使用されるそうです。束見本で、最初の数頁のみ印刷され、ほとんどが白紙の本をご覧になった方もあるかと思います。あれの販売用を兼ねたもののようです。テスト見本で、販売もするもの、とご理解ください。
     さて、第1巻を見て、活字の大きさにホッとしました。最近目が衰えたせいか、小さな活字は苦痛でした。この本も少し児童書のような活字ですが、これは助かります。読む気になります。第1巻は、桐壷から若紫までを収載しています。楽しく読んでいこうと思います。装丁もしっかりしており、なによりも手にしての質感が気に入りました。これは、デジタル読書にはない感触です。書籍の価値を再評価したくなりました。
     第2巻は明年2月、第3巻は明年4月、以降は毎月の刊行だそうです。定価の2,600円は、この種の本としては高めの設定ではないでしょうか。
    ◎(52)96.11.15 植村佳菜子氏の続報です。
    (51)で紹介した芦屋市展は、芦屋市民センターで11月18日(月)まで開催中。 〈佳菜子の源氏絵〉の作者である植村佳菜子氏の入選作品は、「和紙を貼る1」「和紙を貼る3」の2点です。
    ◎(51)96.11.14 本ページの第1室の4・源氏物語関連の画像・映像コーナーの画廊で〈佳菜子の源氏絵〉を描いてくれている植村佳菜子氏が、この度、芦屋市美術展に入選しました。11月18日(月)まで展覧中です。詳しくは続報に記します。
    ◎(50)96.11.13 本日、某大学の方より、これから作成するホームページに、この〈源氏物語電子資料館〉をリンク先として設定したい旨、了解を求めて来られました。その依頼文の表現が気にかかり、以下のような返信を認めました。日本語の表現方法についての検討材料になるかと思い、あえてその一部を掲載するものです。みなさまはこれに対して、どのようにお考えになりますか。

     〈以下、私の返信〉
    リンクの件は了承いたしました。今後ともよろしくお願いします。
    ただし、いただいたメイルの以下の日本語の表現については、日本語に愛着を持つ一人として、非常に貧相な印象を受けました。

    >  尚、作業の都合もありますので、強引ではありますが、この「お願い」を発送してから
    > 2週間たってもご返事が戴けない場合は、リンクについて承認された物として、リンク集
     に掲載しますので、ご承知おき下さい。
    > 甚だ不躾ではありますが、以上、宜しくお願い申し上げます。
    >                                   不一。

     この表現は、外来文化かなにかの影響によるものなのでしょうか。それとも、日本語が商業優先主義に浸食されたためのものなのでしょうか。私は、この文面から、とても機械的な冷たさを感じました。
    エリート官僚の書かれた書面のようですね。上意下達のスタイルのように感じます。もう少し、人間の温もりのある日本語の文化を育てていくことでしたら、協力を惜しみません。
    私のホームページは、海外の方も多数ご覧になっているようです。ほとんどが、日本語の勉強と、日本文化を知るための情報収集を兼ねてのアクセスのようです。
    私は、日本文学と日本語と日本文化の素晴らしさを、多くの人々により深く理解してもらいたいと思っています。また、そのような学問を心掛けています。情報発信をするにあたっての、私の基本姿勢でもあります。
    貴学が、そのようなホームページを開設なさることを、心よりねがっています。
    なお、この文面は、ほぼそのままに〈源氏物語電子資料館〉の壁新聞に掲載させていただきたいと思います。ただし、組織および個人名は出しませんので、ご迷惑をかける事はないと思います。
    ◎(49)96.11.04 フランスのパリで「フォーラム21世紀 パリ文化祭」と銘打って、源氏物語展と源氏物語講演会が開催されます。
      日時d平成8年11月8・9日
      場所d日仏会館&pリ・クリヨンホテル
    ・11月8日は、外務省・フランス大使館主催の講演会が、日仏会館で行われます。
     内容は、伊井春樹氏「若紫のかいまみと場面 ー源氏物語の絵画をめぐってー」
    ・11月8・9日は、ルイ王朝の栄華を今に伝えるフランスを代表する最高級ホテル・ド・クリヨンで、日本刺繍による源氏物語展が開かれます。
     『源氏物語』のフランス語訳で著名なルネ・シフェール氏と伊井氏との対談もあるよし。詳細は続報で。

    ◎(48)96.11.03 (長文注意!)
    スーパーミュージカル『源氏物語』の公演を観てきました。
    拙宅に一番近い、オープンしたばかりの大和高田市文化会館(奈良県大和高田市)さざんかホールでの公演でした。
     チケットの発券ミスでしょうか、一ヶ月半前に「舞台から6列目の中央です」ということで指定席を取ったはずなのに、行ってみるとホールの後ろから6番目の中央でした。近鉄百貨店奈良店の「チケットぴあ」の方、話が違いますよ。キー操作を間違えて発券されたようです。しかし、会場の後方だったせいか、舞台の全体が俯瞰でき、オペラグラスが手放せなかったので、かえって細部まで観ることが出来ました。これを、不幸中の幸いというのでしょう。
    出演・配役は次の通りです。
      光源氏d松村雄基 / 六条御息所d今陽子 / 葵の上d石野真子
       / 夕顔d高樹澪 / 朧月夜d新田恵利 / 藤壷d真行寺君枝
     演出・村井秀安 / 製作・株式会社イマジン

     内容は、六条御息所を中心とした女性たちの話で展開していきました。

     パンフレットによると、ゼネラルマネージャーの山田比古三氏は次のように語っています。
    「今回の「源氏物語」は光源氏という人物を女性の側から観てゆくことを考え、「何故」を問うことにより千年の過去へとタイムスリップして、光源氏の苦悩へとオーバーラップしてゆく。何故、女たちに捨てられた……」
    「女性は何故に光源氏を相手にしたのか? 光源氏は結局は女性にとって何だったのか? 光源氏は何故にこれほど母性を求めてゆくのか? このような、いくつもの「何故」を切り口に、スーパーミュージカル「源氏物語」を作り上げました。」と。
    この解答は、ミュージカルのラストで女たちによって語られますので、ここでは触れないでおきましょう。
     脚本・演出の村井秀安氏は次のように言っています。
    「源氏物語を現代の感覚でミュージカル化できるか?」
    「男と女の愛憎を越えた、たまらなく優しく、たまらなく愛しい人々の物語だと。」

     以下に、素人の目で観た、勝手気侭な感想文を記します。妄言多謝。
     会場は、17時半の開場前からおばさまたちの熱気が漲り、楽しそうな会話がそこここで聞こえるという、なかなか良い雰囲気でした。開場と同時に満席(九割以上)で、その内の95%は女性とお見受けしました。女性の内、2割が若い方々というところでしょうか。外国の方も数人いらっしゃいました。
     今回観た中での圧巻は、夕顔が六条御息所に取り殺されるところに尽きます。この迫力には、ただただ感動しました。とにかく、公演の内容に沿って、私なりにこの和物ミュージカルの感想を認めていこうと思います。

    ◆光源氏の登場は、現代的な洋装です。黒のレザーのパンツに黒のシャツ。その上から茶のトレンチコートを羽織る。突然の光源氏のコスチュームにびっくりです。女性たちもセンスの良い現代的な和装。このミュージカルの衣装は、とにかく一見の価値があります。ただし、顔の横にニューッと突き出たマイクが、少し顔に翳りとなって映ります。遠目には何でもない小道具が、オペラグラスで観たせいか、最後まで気になりました。
    ◆端役ながら王命婦の役が、表情豊かでよかったと思います。脇役の良さは、メインを引き立てます。
    ◆それに引き替え、光源氏に強弱のメリハリがあったら、もっと印象がシャープになったことでしょう。出だしの意表を突いた登場と、その優しくひ弱な感じは、導入には良かったのです。しかし、藤壷との場面では、強がりな光源氏にしたほうが良いと思いました。光源氏のイメージは、全体的に単調でやさしさを強調しすぎたワンパターンだったので、余計に力強いアクセントがほしかったところです。
    ◆「帚木」の段に入って、「窓打つ雨の声……」と言う光源氏のことばは、バックの雨の夜を思わせるミュージックと共に、効果的でした。和泉式部の「夜もすがら何ごとをかは思ひつる窓打つ雨の音を聞きつつ」という歌のイメージを髣髴とさせ、現代の若い女性にも感覚的に情況が理解できる場面を作り上げていました。音感に訴える描写というのでしょうか。私は、この場面設定が気に入りました。
    ◆雨夜の品定めのところでは、光源氏と頭中将の他に、4人の若公達が出ました。藤式部丞・左馬頭・惟光・あと一人、の4人です。この設定はどうでしょうか。惟光とあと一人は、余分だったのでは。もっとも、4人のコミカルな演技を見る光源氏と頭中将の場面は、なかなか面白い演出でしたが。
    ◆六条御息所は、少し明るすぎて軽い存在として映りました。高貴さと女としての凄みをもっと表現してほしかったところです。配役に、今陽子を当てた意図が、私には理解できませんでした。今陽子(かつてのピンキー)は私と一週間違いの同い年であり、内心声援を送っていたつもりですが、私が抱いていた六条御息所のイメージとは、大分乖離していました。この時の六条御息所は、光源氏の7歳年上の24歳のはず。現代の24歳ならともかく、千年前の女性です。それも前春宮の妃で、姫君(後の秋好中宮)を産んだ後、20歳で春宮と死別して数年の後のこと。六条御息所の奥ゆかしさも、表現してほしかったのですが。でも、歌のうまさは、他の出演者とは格段に違っていたので、さすがだと思います。声の質を変えながら心境を表現していました。
    ◆葵の上の設定にも不満が残りました。あまりにも、光源氏を慕う女性にしすぎたようです。恋する女として強調するあまり、光源氏にすがりつくような女性となっています。私のイメージで言えば、今回のような心優しい女ではなくて、貴族の女性としてもっと冷ややかな演技に徹してほしいところでした。「私の所へ戻って」、と訴え過ぎです。弱い女を演じ過ぎたのではなかったでしょうか。
    ◆舞台は、「空蝉」巻には触れずに「夕顔」へと移ります。この辺りで、あれっと思います。恋愛場面を中心として、ほとんどが立ち姿で話が展開していくのです。舞台という制約から仕方のないことでしょうが、夕顔とのラブシーンなどは、もっと低いアングルで観たいところでした。
    ◆それにしても、夕顔の死の直前の踊りは、とにかく圧巻でした。真っ白なボディスーツでハレーションを起こしたかのような全裸のイメージを感じさせる中で、ドラマチックに最高の美的なシーンが繰り広げられます。綺麗・華麗を超したステージです。そして、この盛り上がりの余韻をそのままに、20分の中休みとなります。ここまでの50分が、実に短く感じられました。
    ◆休憩時間にフッと思い出しました。橋本治氏の『窯変源氏物語』の挿絵に使われた写真です。おおくぼひさこ氏が光と闇をモノクロで表現した現代版源氏物語絵巻です。これををカラー版にしたら、まさにこのミュージカルが視覚で訴えてくるイメージになるのです。新しい引用であり、変容です。お手元に『窯変源氏物語』か『写真集窯変源氏』があれば、次の巻の写真を見てください。カッコ内の注は、今回のミュージカルで該当すると感じたシーンです。
    「桐壷」(女房たち)「夕顔」(葵の上の死)「賢木」「橋姫」(光源氏の衣装)「初音」(ミュージカル全体のイメージ)「蛍」「総角」「夢浮橋」(女性の衣装)「若菜下」(六条御息所)「幻」「雲隠」(オープニング)「浮舟」(夕顔の死)。
    あくまでも、これは私の印象ですが。
    ◆藤壷が物語の表面に出すぎるし、彼女自身が語りすぎるように思いました。
    ◆さて、後半です。六条御息所の歌とオーバーラップして、舞台前面の藤壷と光源氏の密会場面へ。この流れでは、六条御息所が藤壷と光源氏の密通を知っていたかのように取られかねません。いずれにしろ、六条御息所が中心となって物語を展開していく設定のようです。藤壷のセリフが多く、また、一女性としての想いを強調しすぎのように感じました。これらによって、秘事・密通性が薄められています。
    ◆すばらしいと思う点も多々ありました。光源氏と藤壷のハーモニーは綺麗でした。また、畳の上での密会から立ち姿となり、階をのぼってシルクスクリーン越しに抱擁する二人、そして藤壷の前に跪くようにしてしがみつく光源氏と、彼に崩れ掛かる藤壷のシーンは、光線を上手く使った効果的な演出となっていました。と、間髪を入れずに、「藤壷懐妊」との声。そして暗転。小気味よい展開です。
    ◆頭中将のそばに惟光が控えている場面が目につきました。これでは、頭中将が惟光を従者としているようです。雨夜の品定めの時もそうでしたが、男性の役者の使い方がぞんざいではないでしょうか。
    ◆女性達は、白い薄手の水着のようなアンダーウエア(何か名前があるのでしょうが)に蘇芳や紅の袴をはいています。いわゆる小袖に袴だけの裸姿といわれる略装です。唄い・踊り・語る、ミュージカルなればこその衣装です。そして、これがまたハイセンスで舞台にマッチしていました。伝統的な女房装束である裳唐衣姿での登場は、女たちが光源氏と対峙する場面に用いられていたように記憶しています。この取り合わせの変化も、違和感なく観られました。アレンジの妙といえるでしょう。
    ◆比較的薄手の衣をまとい、光を透けるシルエットを効果的に演出していました。ホール全体を暗くして、舞台上の照明で明かりを使い分けながら物語を進行させていくのも、うまくなされていました。特に群舞では、光が衣装を突き抜け、場内を幻想的な雰囲気に誘います。女性の上半身は洋楽のように肌をさらすイメージながら、全体的には和物の舞台として現代に再生産されていました。もっとも、朧月夜の左の二の腕に黒子が見えた時には、一瞬イメージが途切れてしまいましたが。
    ◆葵の上の死の場面は、夕顔のそれが完成度が高かっただけに、やや迫力に欠けています。後半部の一つの見せ場になるものとして楽しみにしていました。私の期待ははずれました。これまでに観たことのあるパターンの域を出ないものでした。今回はなかったのですが、六条御息所の車争いの場面ともども、よく舞台や絵画に取り上げられるところの演出は、制作担当者にとっては悩ましいところなのでしょう。お察しします。
    ◆頭中将が、少し登場しすぎのようです。葵の上の死後、兄としての嘆きを語るのが、くどい位に長いのです。ここは、横で何もしていない光源氏に語らせても良かったのではないでしょうか。頭中将の扱いに疑問を持ちました。
    ◆黒子でイメージを寸断された朧月夜ですが、この明るさと可愛さと少しコケティッシュなキャラクターは、舞台を生彩のあるものにしています。役者の地がうまく出ているのでしょう。現代的な配役が成功しています。
    ◆光源氏の優しさが随所に見られます。それが前面に出すぎているせいか、朧月夜との密会が右大臣に露見する場面でも、もっと堂々としていてほしいところでした。全体的に、このミュージカルでの光源氏は、優しさが強調され過ぎて、演技を通して観客に訴えるドラマ性が犠牲になっているように感じました。これを、女性向けにブレンドしたのだとしたら、それは違います。物語の展開に関わるものなので、この光源氏の扱いはやはり中途半端です。これは、ラストシーンにも関わってきます。
    ◆出家後の藤壷も、光源氏同様に線が細すぎます。別れを告げに来た光源氏と几帳越しに対面する場面では、藤壷はもっと大きく見せるような演技をしてほしいところでした。また、几帳越しに光源氏が藤壷の手を取った瞬間に、藤壷が手にしていた数珠が舞台に飛び散ります。大振りの珠をつかっていたようですが、客席からはその演出が見えにくかったのです。座する二人と、フロアーに飛び散り広がり転げる珠が、あくまでも舞台の平面上で生起しているために、その演出のうまさ美しさが伝わりにくかったように思います。珠が角度をもって舞台を飛翔するイメージにしたら、と、素人ながら勝手に演出をして楽しんでいます。
    ◆終盤です。哀れな男・愚かな男として強調された光源氏は、六条御息所に跪きすがりつきます。前半でもあった、藤壷との類似のシーンが洗練されていただけに、ここのポーズは決まっていませんでした。公演の前半の方が、後半よりも気合いの入った演出になっているようでした。
    ◆ラストシーンで、「妄執のために私たちは永遠に生きる」、という女たちと、「お前たちは眩しい」という光源氏。急いでまとめに入ってきているな、という印象を持ちます。ラストは、光源氏への女たちの子守歌という設定です。これは、私には分かりづらいまとめ方でした。
    ◆全体的には、歌も台詞も、共に声が場内によく通っていて、ことばの一つ一つが聞きやすかったので、舞台に集中できました。

     以上、素人のお粗末な感想文でした。的外れな批評も多々あろうかと思います。門外漢ゆえの無知を晒しながらも、それゆえに観たままの素直な感想文を意識して認めました。関係者のみなさま、ご寛恕のほどを、切にお願いします。ふたたび妄言多謝。
     なお、今回の製作会社であるイマジンは、平成5年(1993)秋にも『源氏物語』を全国公演していました。演出は今回と同じ村井秀安氏。光源氏を坂上忍が演じています。女性陣は、峰さを理、川島なお美、柏原芳恵。川野太郎も出ていたそうです。知りませんでした。残念です。
     今後の公演日程を再掲します。
    11/2(土)大和高田市文化会館(奈良県大和高田市)
     /3(日)稲美町立文化会館(兵庫県加古郡)
     /4(月)太子町立文化会館(兵庫県揖保郡)
     /6(水)出雲市民会館(島根県出雲市)
     /8(金)県民文化ホールいわくに(山口県岩国市)
     /10(日)八千代市市民会館(千葉県八千代市)
     /17(日)西都市民会館(宮崎県西都市)
     /19(火)串間市文化会館(宮崎県串間市)
     /21(木)鹿児島県文化センター(鹿児島市)
     /22(金)鹿屋市文化会館(鹿児島県鹿屋市)
     /23(土)種子島こり一な(鹿児島熊毛郡)
     /25(月)山口市民会館(山口市)
     /26(火)(広島アステールプラザ)テレビ広島 事業部(広島市)
     /27(水)(西条市文化会館)愛媛新聞 開発部(愛媛県松山市)
     /28(木)吹田メイシアター(大阪府吹田市)
     /29(金)赤穂市文化会館(兵庫県赤穂市)
    12/2(月)(富山県民会館)富山テレビ(富山市)
     /3(火)和歌山市民会館(和歌山市)
     /4(水)御坊市民文化会館(和歌山県御坊市)
     /5(木)大阪狭山市文化会館(大阪狭山市)
     /6(金)東海文化センター(茨城県那珂郡)
     /7(土)伊東市観光会館(静岡県伊東市)
     /9(月)大垣スイトピアセンター(岐阜県大垣市)
     /10(火)(なかのZERO)イマジン(東京都中野区)


    ◎(47)96.10.23 『源氏物語ハンドブック』(秋山・渡辺・松岡編、新書館、96.10、\1700)が刊行されました。31名の共同執筆です。見開き2頁に、登場人物(28項目)関連人物(29項目)場所(6項目)古注釈・関連書ほか(22項目)能・謡曲ほか(7項目)要語(20項目)が、平易にまとめてあります。各項目が五十音順とジャンル別に目次として立てられている上に、詳細な索引と執筆者別担当項目一覧もあるので、気の向くままに拾い読みが楽しめます。『源氏物語必携』(別冊国文学1・13、学燈社、昭和53・12、昭和57・2)・『源氏物語事典』(別冊国文学36、学燈社、平元・5)ともども、便利なハンドブックです。
    ◎(46)96.10.13 10月13日のテレビ番組「知ってるつもり!?」(読売テレビ、21時〜54分、Gコード-44313)のテーマは、「紫式部」です。ゲスト・解説は、瀬戸内寂聴・伊井春樹・近藤富枝・駒尺喜美の各氏です。
    ◎(45)96.10.12 NHKラジオ第一放送で、10月11日の深夜23時50分から12日朝4時30分までの長時間にわたって、「京都発ラジオ深夜便 特集・朝まで源氏物語」が放送されました。お聞きになった方はどれくらいだったでしょうか。ここに、概要を記しておきます。内容は、おおよそ次の五つでした。
     1d紫式部越前下向1000年祭(朧谷寿)
     2d源氏物語の原文の世界へのいざない
     3d源氏物語の音の世界
     4d大好きです宇治十帖(田辺聖子)
     5dもののけ・王朝の恐れとやすらぎ(瀬戸内寂聴)
     紫式部が乗る輿を製作した武生市の方の話によると、輿の復元をしてみての感想として、当時の女性の身長は150cm位ではなかっただろうか、と仰っていました。今より10cmほど背が低かったということになります。乗り物からの想像ではありますが、おもしろい視点からの意見だと思いました。なお、本年5月にも、「朝まで源氏物語」が放送されたそうです。その内容をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。
    ◎(44)96.10.11 (32)で紹介したように、紫式部の越前下向1000年を記念する再現時代行列が、10月10日、京都府宇治市から福井県武生市へ出発しました。これは、紫式部の父藤原為時が996(長徳2)年の春の除目で越前守に任命され、その夏に紫式部を伴って旅立った時を再現したものです。これには裏話があり、為時は最初は淡路守(下国9ヶ国の内)に任命されたのです。しかし、為時は申文を奏上して一条天皇に不満をもらし、その文章のすばらしさや藤原道長の配慮もあって、越前守(大国13ヶ国の内)に替えてもらえたのです(『日本紀略』『今昔物語』『古事談』『今鏡』など)。ちなみに、越前守に決まりながら強引に交代させられたのは、道長の乳母子の源国盛という者で、その秋に播磨守になりますが病没したようです。いつの世も人事にまつわる楽屋裏には、さまざまな悲喜こもごものドラマがあるようです。さて、今回の王朝絵巻再現での紫式部役は、ミス宇治が務めました。バスを使いながらの2泊3日の旅。10月12日に武生市で着任の儀式があるそうです。


    1年目(1995. 9.30〜1996. 9.30)
    3年目(1997.10. 1〜1998. 9.30)
    4年目(1998.10.1〜1999.12.31)
    5年目(2000.1〜12)
    6年目(2001.1〜12)

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