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[研究拾遺]

 

源氏物語諸本の相関関係

 

はじめに

 

 『源氏物語』諸本の本文における本文異同の傾向について、二年間に処理したデータから、いくつかの例を取り上げて研究報告書を補っておきたい。

 それは、本年度の対象となった国冬本と東大本の取り扱いについてである。

 本年度において対象とした国冬本と東大本には、本文資料として再検討すべき巻や事例が多数確認できた。この二種類の本文群には、いわゆる青表紙本に属する本文を伝える巻々の一群が混入しいる。保坂本にも、そうした一群はある。しかし、それはある程度まとまって存在していた。国冬本と東大本における、いわゆる青表紙群の本文は、五十四巻の中に点在しているといってよい。この二種類の本文については、本文の内容を詳細に検討した後に考察の対象としたい。つまり、従来青表紙本とされてきた巻々の位置づけを再確認した後に、あらためて青表紙本とは何かを含めてとりあげるつもりである。

 

諸本の相関関係図(抄録)

 

 そこで以下には、今回のデータ処理において東大本が諸本との間に有効な本文異同を見せた次の巻々について見ておきたい。

  ・14澪標 ・20朝顔 ・23初音 ・27篝火 ・29行幸 ・30藤袴 ・36柏木

 これは、拙稿「澪標巻の別本 b東大本を中心にしてb」(『源氏物語小研究 創刊号』平成二年五月、源氏物語別本集成刊行会)で、その本文内容に、いわゆる青表紙本や河内本にない語句が散見する巻として指摘したものである。物語の本文内容と、その本文の外見上から見た異同傾向との関連を考察する上で、従来なかった視点からの問題提起となればと思っている。

 とにかく、いわゆる〈別本〉として放置されてきた本文群は、その内部・外部の確認がほとんどなされていないのが現状である。このような報告の積み重ねから、あらたな読みに資するものを探求していきたいと思っている。

 上記七巻で、『源氏物語』五十四巻の内、約一割の分量の本文を有するグループとなる。全体の一割にすぎないが、東大本をフィルターにした異本の位相を知るものとして、貴重な結果が見えるものである。

 これまでのデータ処理を通しての、異文の重み付け処理の結果について相関図をあげてコメントを付けておく。

・14澪標

 全体の傾向を知る好例として、これまでにもサンプルパターンとしてとりあげてきた。ここで改めて、その傾向を確認しておきたい。なお、澪標に関しては、十七本という多数の本文を翻刻することによって、その諸本間の位相を詳細に考察できたものである。この巻については前章で研究論文としてまとめた。

 

 

 

・20朝顔

 大島本と尾州本の対局に陽明本と国冬本が位置している。その中間に東大本と保坂本がある。従来、別本と呼ばれてきた本文群である。八割という境界線が、こうした数値処理で見えてきた分岐点のように思われる。

 

 

・23初音

 この巻では、諸本すべてが右上に集合している。つまり、本文異同が極端にすくない巻といえよう。こうした傾向の巻だけを集めることによって、本文異同が発生しにくい巻の性格を見ることも可能である。

 

 

・27篝火

 

 『源氏物語』の中で、もっとも短い巻である。しかし、このように諸本のポジションにばらつきがあり、本文内容の検討と合わせて考察を加えると、比較的位相が掴みやすいのではないか、という感触を得ている。

 

 

・29行幸

 

 諸本が九割のラインで並んでいる。本文異同のすくない巻と言えよう。こうした巻も、澪標の鶴見本がそうであったように、これまでとは異質の本文が突然出現して、各位相に見直しを迫ることも考えられる。不断の本文発掘が要求されるところである。

 

 

・30藤袴

 

 東大本が極端に異同を示している。データの再点検を経ていないのでまだ何も言えないが、本文内容との関連を精査すべき巻だと思われる。

 

 

・36柏木

 

 きれいに右肩上がりに諸本が並んでいる。国冬本と保坂本は、今後とも注目すべき本文である。柏木には『源氏物語絵巻詞書』が伝存している。それらを含めた多様な本文資料で、さらに情報を増やしていくことが肝要である。

 

 

まとめ

 

 検討材料を今後ともさらに増加させることによって、より客観的な異同傾向が読みとれるようになるはずである。まだまだ、資料がすくなすぎるので、十分な結論を出すに至ってはいない。現在のところでは、八割の異同傾向を一つの分岐点として認識している。
 今回のデータを活用して、各諸本毎の全巻を通しての異同のゆれを見る必要もある。当面は巻単位で、そして、その点を線へと延ばしていくことによって、諸本の本文異同とその位相が見えてくると思われる。
 これまでの、いわゆる青表紙本・河内本・別本という分別基準があいまいな系統論ではなくて、本文の異同傾向を概観しての分析を深化させていくことの必要性を痛感している。もちろん、本文を読むという行為を通しての本文の位相の探求が、もっとも重要なことであることは論をまたない。その両面からのアプローチが、今回のデータ処理を通して可能となったのである。

表紙
序文
凡例
論考
拾遺