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[研究論文]

 

源氏物語本文の位相と定位に関する考察

b「澪標」における諸本分別私案としての五分類b

    はじめに

 『源氏物語』の本文は、池田亀鑑氏による三分類(青表紙本・河内本・別本)が一般に通用している。しかし、この系統論については、阿部秋生氏(『源氏物語の本文』昭和六十一年六月、岩波書店)をはじめとする多くの批判があるものの、今はこれといった対案のないままに池田氏の三分類が継承されているのが実情である。『校異源氏物語』が刊行されたのは昭和十七年であり、以来五十六年後の今日も、唯一の規範となっているのである。

 そして、近年の『源氏物語』の流布本は、いわゆる青表紙本系統とされる大島本が高い評価を得て広く読まれている。このような『源氏物語』の受容状況について、私は多くの疑念を抱いている。青表紙本とは何なのか、大島本はどのような素性の本文であるのか、ということが未解決のままに受け入れられているからである。

 そこで、この問題に正面から取り組もうとする阿部秋生氏の『源氏物語の本文』から、その問題点を摘記しておく。今回考察するにあたっての始発点を確認しておくためである。

  『源氏物語』の現存諸本の系統をたてる時、青表紙本・河内本を分類の項目に用いることは避けるべきであったのではないか。青表紙本・河内本とはどういう性格の本文で、現存諸本のどれがそれに相当するのかを考えることは一つの課題ではあるが、『源氏物語』の巨大な伝本群を前にして、これを文献学的に処理しようとする時には、まず本文そのものの形状・性格の分類からはじめるべきで、この青表紙本とはという類の課題を正面に立てることは避けるべきであった。手がけるにしても、本文の形状・性格の分類・整理の後にまわすべきであったのだろうと思われる。その本文そのものを扱うことを後まわしにして、伝本の形態的特徴(引用者注d各帖末尾の「奥入」の有無)に頼ったことは、手順を二重に誤るもので、「最も危険である」ことは、『枕草子』の場合だけではあるまい。
 本文の系統の分類には、伝本の形態的特徴を無視してはならないが、諸本の本文そのものの比校とその吟味とを中心に据えるべきだということが原則だろう。他の文学作品の伝本の系統研究はこの原則によって行われたようである。『源氏物語』の場合、この原則を破ったわけではないのだろう。つまり、『源氏物語大成』校異篇の仕事が先行していた、本文の比校・吟味はすんでいると考えられたのかもしれない。(中略)青表紙本の研究としては、当然の順序であろうが、『源氏物語』の諸本の系統を立てる手順としては、逆であったということなのではあるまいか。(九八頁)

 これは、池田亀鑑氏の方法に対するというより、『源氏物語』の本文に対する研究者すべてへの、本文を取り扱う上での注意を喚起するものである。また、本文の系統についても、阿部氏は根本的な疑義を提示された。本稿の最終節で取り上げる問題であるが、今すこしその概要に触れておく。阿部氏は、池田氏の別本の定義にしたがって「平安時代書写の伝本の系統の諸本を別本第一類、古伝本系別本とするならば、青表紙原本の書本はその中の一本である。」(右、一〇八頁)という結論を導かれた。つまり、青表紙本は別本群の一部を占めるものであり、別本と対立する本文は河内本のみになる、とするのである。後述のごとく『源氏物語』の本文の系統については、白紙に戻して考える必要性を痛感している。とにかく『源氏物語』の本文は、いまだにその整理すら終わっていない状況であり、いわゆる青表紙本としての大島本だけが流布本として一人歩きをしているのが現状である。

 

    一 対象となる本文資料

 

 そこで本稿では、とにかく可能な限り古写本に書かれたままの本文を校合することから始める。対象とするのは「澪標」である。この巻を考察の対象にするのは、『源氏物語大成』に別本としての採択のなかった巻であることがまずあげられる。『源氏物語大成』に別本としての採択がないのは、「若紫」「明石」「澪標」「絵合」「松風」「藤袴」の六巻である。これらの巻々には、『源氏物語大成』刊行後に確認されている、いわゆる非青表紙本・非河内本の本文(中山本・保坂本・東大本・蓬左文庫本・中京大本・鶴見大本など)がある。『源氏物語大成』未収録の別本とすべき本文の読みを展開する中で、異本の表現様態について考察を進めているところである。そうした関連からの「澪標」という選択に加えて、須磨から帰還した光源氏が新たなスタートを切る『源氏物語』の中でも注目すべき巻であることがある。伊藤博氏は「澪標巻は旧構想のしめくくりをつけ新たな物語を起こす始発点で、多くの登場人物が慌だしく出入りし、その意味で葵・少女・若菜巻等と共通する。」(「澪標」『源氏物語講座 第三巻』、一四八頁、昭和四六年七月、有精堂)と言われた。また、近年、鶴見大学本という貴重な本文資料が池田利夫氏によって紹介されたことも、今回「澪標」を取り上げた大きな要因となっている(「別本「澪標」巻写本の出現 \鶴見大学図書館新収本とその翻印\」『源氏物語と源氏以前 研究と資料 b古代文学論叢 第十三輯b』、平成六年十二月、武蔵野書院)。

 現在、活字や影印資料によって確認できる「澪標」の伝本をまとめると、次のように整理できる。

  『源氏物語大成』所収の諸本

    青表紙本b大島本(底本)・家隆筆本・横山本・平瀬本・池田本・肖柏本・三条西本

    河内本b御物本・七亳源氏・高松宮本・大島本・尾州家本

    別本bナシ

  『源氏物語別本集成』所収の諸本

    青表紙本b大島本(校本)

    河内本b尾州家本

    別本b陽明本(底本)・麦生本・阿里莫本・東大本

 今回本稿で用いる「澪標」の古写本は、次の十六種類である。

    阿里莫本(天理図書館蔵)

    大島本(古代学協会蔵)

   *御物各筆本(東山御文庫蔵)

   *国冬本(天理図書館蔵)

    三条西本(宮内庁書陵部蔵)

    高松宮本(高松宮家蔵)

   *鶴見大本(鶴見大学図書館蔵)

    東京大本(東京大学総合図書館蔵)

   *日本大本(日本大学総合図書館蔵)

    尾州家本(名古屋市蓬左文庫蔵)

   *伏見本(古典文庫)

   *穂久邇本(穂久邇文庫蔵)

   *保坂本(東京国立博物館蔵)

   *前田本(尊経閣文庫蔵)

    麦生本(天理図書館蔵)

    陽明本(陽明文庫蔵)

 行頭にアスタリスク(*)を付したものは、これまでに翻字されていないものである。ただし、公開された鶴見本の翻刻は不明な点が散見するため、今回あらためて読み直したものを用いた。

 諸本をその内容から分別するにあたって、基準とする本文は『源氏物語別本集成』(平成三年一月、伊井春樹・小林茂美・伊藤鉄也編、桜楓社)の底本でもある陽明文庫本を用いた。これは、「澪標」の全文を文節によって区切り、その各文節に通し番号が付してあるため、諸本の本文を校合するのに都合がよいからである。また、陽明本が、従来の校訂本文としての青表紙本や河内本とは少し異なる本文であるために、青表紙本か河内本かという先入観による本文分別を避ける意味も持たせている。

 この陽明本については、次のような解説がなされている。

  今回の陽明文庫本の公刊を契機に、「澪標」の周到な本文研究、精密な諸本との校合が進めば、青表紙本や河内本と遠いように見えながら、しかも近接した要素を持つ、この特異な「澪標巻」の位相が明らかになることによって、青表紙本や、とくに河内本の成立系流や性格を探る、有力な資料としても、陽明文庫本「澪標」の存在価値はクローズアップされてくるだろう。」(『陽明叢書国書篇 第十六輯 源氏物語 四』、八八頁、南波浩、昭和五十四年十二月、思文閣出版)

 本稿の目的は陽明本の「澪標」の位相を知るためではないが、諸本の複雑な位相を照射する上での役割は大きいと判断して用いたものである。

 

     二 諸本分別私案としての五分類

 

 「澪標」における十六種類の各種諸伝本を、その本文の内容を読み解きながら相互に比校していった。その結果、次のようなグループ分けで各関係をとらえると、諸伝本間の本文関係がほぼ無理なく把握できることがわかった。膨大な本文異同を読み分けての分別であり、相矛盾する事例も多いことを十分承知の上で試みたものである。最大公約数としての諸本の関係を把握することを念頭に、概ね妥当と思われる範囲で整理した私案である。

  「澪標」諸本の関係(=『源氏物語大成』採択・=『源氏物語別本集成』採択)

    【1類】 a[○△大島]b [穂久邇・伏見・三条西]

    【2類】[前田・日大・国冬・保坂]

    【3類】 a[陽明・東大] b[麦生・阿里莫]

    【4類】[鶴見]

    【5類】[○△尾州・高松宮・各筆御物]

 ここで【1類】としたものが、従来の【校訂本としてのいわゆる青表紙本】であり、【3類】が【通称としての別本】、【5類】が【校訂本としての河内本】におおよそ該当するものとなった。【2類】と【4類】は、それぞれが中間的な位置を占めるものであり、これまでの物差しには当てはまらないものとなっている。また、【1類】と【3類】では、そのグループ内での質的な異同を考慮して、さらに a・b に分けた。

 以下では、そのようなグループ分けに至った理由を示す本文異同の一二を示し、煩雑にならない程度に確認しておきたい。例示は、諸本の関係を把握する説明上の観点から、特徴的なものだけを取り上げた。最初に大島本本文を『源氏物語別本集成』の文節通し番号を付してあげてある。その左に一字下げで本文異同を列記する。本文異同に続く諸本名は、各諸本から漢字一文字をとってカッコで括って表示している。また、用例中の記号は、次の意味を表すものである。

    /(備考) =(傍書) +(補入) $(ミセケチ)

    &(ナゾリ) △(不明) 「 」(和歌)

 ◎【1類】の場合

  心やみ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・140052

   こゝろやみ[穂伏] こゝろやみ/み=イましく[日] ナシ/+心やみ[前]

   心やましう[陽] 心やましく[国麦阿尾高各鶴] 心やましう/ま=ミイ[東] 
   こゝろやましく[保]

※ 本文明示のない[三]は、校合の底本である大島本の「心やみ」と同文である。

ここでは、[大三穂伏日]の「心やみ」と、[陽国麦阿尾高各鶴東保]の「心やましく」が対立していることがわかる。

 

  ところほとりに ・ ・・・・・・・・142702

   所に[陽穂国麦阿保] ところに[日伏] 所に/に$ほとりに[前]

   ほとりに[三東尾高各]

   ほとに[鶴]

※ 大島本の「ところほとりに」が独自異文となっているものである。こうした例が散見するので、諸本の関係【1類】の中でも、[大]と[穂伏三]というように二分してある。

    [三]が[穂伏]と異同を見せるが、こうしたケースは多くはない。

[前]は、「に」をミセケチにして「ほとりに」を傍記する。これは、現在独自異文となっている大島本と同じ本文になる例である。前田本は、前例〈140052〉でも、欠文を大島本などが伝える語句で補入していた。

    『大系』(岩波書店)は底本の三条西本の通り「ほとりに」としている。

 『全集』『新編全集』(小学館)は校訂付記に「ところほとりに」を明示して「所に」と校訂している。

    『新大系』(岩波書店)は大島本の通り「所ほとりに」としている。

 古写本における傍記は、その直前の本行本文に混入することがよくある(後述)。他の古写本にもこのような現象がよく見られることから、大島本本文の元の形は「ほとりに」の右横に「ところ」が傍記されていたものであろう。その傍記「ところ」が本行の「ほとりに」の直前に混入したのが今の形ということが想定できる。『源氏物語大成』によれば、横山本がまさにその形を伝えている。横山本は、「ほとり」の右横に並列して「ところ」を書き入れているからである。同じく『源氏物語大成』によれば、「ほとりに」とする青表紙本には[家肖]の二本があり、「所に」とするものとして[平池三]の三本が掲載されている。また、河内本に分類されるもう一つの大島本は、「ほとに」としている。これは、鶴見本の独自異文と一致するものである。つまりここでは、「ほとりに」「ところに」「ほとに」の三種類の異文があり、「ほとりに」がいわゆる青表紙本と河内本がよしとした本文であった、ということであろうか。しかし、「ところに」が通称としての別本が伝えるものかというと、三条西本などの従来の青表紙本とされていたものがその語を伝えているので、これも明確な本文系統の区別とはなっていない。こうした例は、青表紙本・河内本・別本という区分けでは解消できないものとなっているのであり、別の新たな物差しが必要であるように思う。

 なお、大島本の該当個所には墨書きの付箋(三十ウ)がある。藤本孝一氏は「花鳥ニハつみふかきほとりに/ハカリアリ以他本可/見合し」と翻字されている(「大島本源氏物語の書誌的研究」『大島本 源氏物語 別巻』、九一頁、平成九年四月、角川書店)。しかし、ここの「つみふかきほとりに」は「つみふかきほ(本)と(止)に(耳)と(止)」と読むべきではなかろうか。最後の「と」は、国冬本などでは「に(尓)」の崩れた形でよく見かけるものに近いし、「に(二)」の可能性も残されている。しかし、その前の文字を「り」と読むには苦しいところがある。末尾の「と」は、引用の格助詞とも、「ほとに」に続く「としへつるも」の最初の一文字とも理解できる。ただし、現在確認できる『松永本花鳥余情』(伊井春樹編、昭和五十三年四月、桜楓社)は「つみふかきほとりに年へつるも」となっている。『花鳥余情』を引いたとすれば「ほとりに」となるのであるが、大島本の付箋を見る限りでは「ほとにと」と読んでおきたい。すると、これは鶴見本や河内本としての大島本と一致することになる。この付箋は、他の付箋と紙質が異なるもののようである。どのような経緯で添付されたものかは不明ながらも、これも一異文が残存する資料となっている。

 いずれにしても、これらは文意に大きく影響はしないが、書承関係を類推させる好例である。これは、大島本を調査された藤本孝一氏が「「柏木」本文最終は、河内本の本文を持っていたが、他の青表紙本での校訂により切除された、」とか、「大島本は江戸時代中期頃までに他の青表紙本で校訂された結果、より青表紙本の特色を持つことになった、」(「大島本源氏物語研究の展望」『大島本 源氏物語 別巻』、七○頁、平成九年四月、角川書店)と言われたことを想起させるものである。そして、藤本氏の「「柏木」最後の文が河内本と同じ終わり方をしている青表紙本が存在していた。それは大島本である。そうなると、校訂されない大島本の本文は、河内本と近い関係を持っていたのではなかろうか。」というまとめのことばが、ここでの本文異同と傍記本文の本行化の結果と照合する点があるように思われる。とすると、一体青表紙本とは何なのか、大島本とは何なのか、という問題に直面し、これまた堂々巡りとなって、青表紙本・河内本・別本という物差しでは説明できない袋小路に突き当たる。こうした事態を解消するためには、校訂本文としてその事情が判明している河内本をまず一群として認め、次に、別本群というものを対峙させるしか方途がないように思う(なお後述)。

 以下で〈別本・河内本〉と記す場合があるが、それは通称としてのものであり、ほぼ〈別本群・河内本群〉に等しい意味の分類語として用いることとする。

 

 ◎【2類】の場合

  なかの ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・140642

   中の[陽国麦阿東保伏鶴]

  おとりは ・ ・・・・・・・・・・・・・・140643

   をとりは[陽穂阿高各伏]

  大政大臣にて ・ ・・・・・・・・・・140644

   太政大臣にて[三日東保尾高伏鶴] 大しやう大臣にて[穂]

  くらゐを ・ ・・・・・・・・・・・・・・140645

   位を[麦阿] ナシ/+位を[東]

  きはむへしと ・ ・・・・・・・・・・140646

   きわむへしと[穂] ナシ/+きはむへしと[東]
   きはめ給ふへしと[尾] きはめたまふへしと[高] きはめ給へしと[各鶴]
   きはむへし中のおとりはらに女は出き給へしと[麦] 
   きはむへし中のをとりはらに女は出き給へしと[阿]

  かむかへ ・ ・・・・・・・・・・・・・・140647

   かんかへ[陽三国保伏鶴] かむかゑ[穂] かうかへ[麦阿尾高各] 
   ナシ/+かんかへ[東]

  申たりし ・ ・・・・・・・・・・・・・・140648

   申たりしなかのおとりはらに女はいてきたまふへしとありし[日]

   申たりししなかのおとゝはらに女はいてものし給へしとありし
   /しなかのおとゝはらに女はいてものし給へしとありし$事さしてかなふなめりおほかた、
   傍$[前]

   ナシ/+たりし中のおとりはらに女はいてき給へしありし[東]

   申たりしになかのおとりのはらに女はいてものし給へしとありし[尾]

   申たりしになかのをとりのはらに女はいてものし給へしとありし[高]

   申たりしになかのおとりのはらに女いて物し給へしとありし[各]

   申たり中のおとりのはらに女むまれ給へしとありし[鶴]

  ※ [前日]や[麦阿]の位相がわかる、長文が挿入された形を見せる例である。

    本文異同については、後節「五 鶴見本の書写態度」で検討する。

 

  人々 ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・143440

   人々も/も$[前]

   人々につけつゝ心かけきこえ給人/につけつゝ心かけきこえ給人$[日]

   人々につけつゝ心かけきこえ給人[国保] 人々につけつゝ心かけきこへ給人[各]

   人々につけつゝ心かけきこえ給ひと[尾高]

   人につけつゝ心にかけきこえ給ふ人も[鶴]

  ※ [日国保]などの位相がわかる、長文が挿入された形を見せる例である。

 

 ◎【3類】の場合

  ありけれうきものはわかみこそありけれと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・141495

   ありけれと[東] 有けれと/れ+うき物は我身こそありけれ[陽]

   ありけれうきものはわか身こそありけれと[三日] ありけれうき物は我身こそありけれと[穂]

   ありけれうきものは我身こそありけれと[国保] ありけれうき物は我身こそ有けれと/身+に[前]

   有けれうき物は我身こそありけれと[麦] 有けれうき物はわか身こそ有けれと[阿]

   ありけれうきものはわか身にこそありけれと[尾各] 有けれうきものは我みにこそありけれと[高]

   ありけれうき物は我身にこそ[鶴]

  ※ [東陽]の位相がわかる、文の脱落が想定される例である。

   [麦阿]については、前出の〈140646〉や、後出の〈143702〉を参照のこと。

 

 ◎【4類】の場合

  御くにゆつりの ・ ・・・・・・・・140309

   御国ゆつりの[前阿東尾高]

   御即位の[鶴]

 

  さためらる ・ ・・・・・・・・・・・・140416

   定らる[東]

   さためくたさる[尾高各]

   さためらるゝにのかれ給へくもあらす[鶴]

  ※鶴見本の独自異文は枚挙に暇がない。

 

 ◎【5類】の場合

  けはひ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・・142957

   気はひ[日前伏] けはい[穂]

   けしき[尾各鶴] 気しき[高]

※ 「けはひ」と「けしき」が対立する例である。[鶴]が[尾高各]と一致するのは、以下にあげる、陽明本の語句を持たない場合ともども、鶴見本の特色でもある。

 

  女君にも ・ ・・・・・・・・・・・・・・143702

   女きみにも[日] 女君も[前]

   上にも[麦阿] うへにも[尾高各]

  ※ 河内本としての[尾高各]は、他本と複雑な関係で本文異同の諸相を示している。

 

 次に、校訂本としての評価が定まっている河内本群に着目して、各古写本の位相を見ていくことにする。河内本群(ここでは尾州・高松宮・各筆)が陽明本の語句を持たない場合を取り出して検討していく。

 それぞれのパターンの一致数は、次のようになっていた。カッコ内の数値は、副詞が該当する例である。

  ◎【尾高各鶴】が一致してナシ 五二(一二)

  ◎【尾高各】が一致してナシ  四六(一〇)

  ◎【尾高】が一致してナシ   八(二)

  ◎【陽以外】が一致してナシ   五

 全一二六箇所中、副詞二九例(二三%)が陽明本と比較して欠落が確認できた。付加された副詞は二九例(内「いと」十五例)である。副詞の出入りは、今後とも注目すべきところである。ただし、この副詞については、今回は取り上げないこととする。右にあげた以外の組み合わせは、いずれも二箇所以内の一致であった。

 ここで注目すべきは、河内本群に鶴見本を加えた組み合わせにおける語句の欠落率である。一二六箇所中、五二箇所(四一%)もある。尾州・高松宮本のみの一致を加えた河内本としての欠落が五四箇所であることを考えても、河内本群と鶴見本との関係の深さがわかる。また、陽明本のみが単独で諸本と異なるのが五箇所もあるのは、この本の特異性を示すものでもある。

 ここからは、鶴見本が河内本群と非常に関係の深い本文を伝えていることがわかる。他本との比較からも、この傾向は圧倒的なものである。鶴見本は河内本群と密接な関係を持ちながら、なおかつ独自な本文を伝流するものであることが、以上の検討から明らかであると思う。

 

 

    三 文節単位の異同数からの分別

 

 

 前節では、「澪標」の本文内容の比校を通して、その本文異同の諸相を検討した。ここでは、それに加えて、数量的な異同傾向を見ることによって、諸本の相対的な関係を確認しておきたい。本文異同の全体的な傾向を明らかにすることは、語られる内容の位相を考えていく上でも、有効な方向性を示してくれることが期待できるからである。

 異同傾向を数値化するにあたっては、次のような方針をたてた。

  ※対校基準本文(別本など)に対して、大島本・尾州本各本文の校異を文節単位でチェックする。

  (対校本文が大島・尾州本とどういう位相にあるかを見るため。)

  ※「澪標」の総文節数は、陽明本の三八一〇文節である。この一文節毎に、対校結果をチェックしていく。

  ※各本文異同に対して、次の数値を割り当てた。

   【 】完全一致・類似表記による一致

    ・不完全一致を含めて、ほぼ同一の語句と認定しうるもの。

    ・常識的な知識(高校古典レベル)で音読比較してほぼ同一の場合。

    ・音便・送仮名・仮名遣・漢字・仮名・踊字の相違を区別しない。

   【5】判定保留・その他例外

    ・前後いずれとも決しがたいもの。判断に迷ったもの。

   【0】語句変化・字句加除による不一致

    ・語句や字句が、一部でも変化・欠落・補入の場合。

    ・語句の活用・異語・加除がある場合。

 具体的には、各本文異同に対して次のような処置を施している。

  ◎異同判定上の注意事項

  ・【 】完全一致・類似表記 の例

     思ふ  【 】おもふ 【 】おもう

     なりなむ【 】なりなん【0】なりぬる

     給ひて 【 】給て  【0】給

  ・あくまでも、本行本文で対校する。

  ・ナゾリ文字は異同なしとする。直前の字句を完全に消去する意志があるため。

     かく【 】かく/し&く (「し」をなぞって「く」と読ませる)

  ◎ほぼ一致とするもの

  ・漢字表記・字体上の相違は、異同なしとする。

     船【 】舟

  ・不読文字(△)は、ひとまず対校本文に合わせる。無理に異文としない。

     はかり【 】は△り

  ・音便無表記の異同。

     これなむと【 】これなと【 】これなんと

  ・踊り字の異同は、符号記号の誤読誤写と認めて、漢字仮名踊字の異同とする

     いと【 】いとゝ【 】いとと

  ◎不一致とするもの

  ・部分的変化とするもの。

     かけはなれ【0】けはなれ(単純な書写ミスと思われるが)

     給ひ【0】給ふ【0】給へ(活用形の異同)

 上記の方針による異同処理の結果は、次のようになった。

 

14澪標
対大島値計
対大島一致率(%)
対尾州値計
対尾州一致率(%)
大島
38100
100.0
27650
72.6
三条
36990
97.1
27820
73.0
穂久
36990
97.1
27820
73.0
保坂
36870
96.8
27980
73.4
国冬
36380
95.5
27860
73.1
前田
36380
95.5
27860
73.1
伏見
36050
94.6
27330
71.7
陽明
35710
93.7
27430
72.0
日大
35660
93.6
27550
72.3
東大
35080
92.1
27340
71.8
麦生
33130
87.0
26780
70.3
阿里
33040
86.7
26800
70.3
尾州
27660
72.6
38100
100.0
高松
27540
72.3
37660
98.8
各筆
26410
69.3
34110
89.5
鶴見
25180
66.1
26090
68.5

 

 この結果をもとにしてグラフ化すると、次のようになる。

 

 

 

 

 統計処理における諸本の相関関係図中に、既述の本文内容の検討からの区分けを参考にしてグループを示してみた。【1類】・【2類】・【3類】に当てた諸本の位置が錯綜しているのは、陽明本の文節単位を基準にして大島本と尾州本との関係を見た点と、一文節に複数の異同があっても一件として算出している点、そして、本文内容を考慮せずに単純に計数処理を行っているためである。そうした点を十分に配慮したとしても、先の本文内容による分別とこれとは、ほぼ似通った傾向を見せているように思う。五群に分かれた先の関係図は、本文の系統論を再考するためのものではない。これは、源光行・親行親子の手になる校合校訂本としての河内本(ここでは尾州家本)をまず横に置き、それ以外の伝本十五種類を本文内容の異同から、それぞれがその伝承する本文の関係に齟齬をきたさない程度にグループ分けを試みた結果である。これを見るだけでも、『源氏物語』の内容上から、青表紙本・河内本・別本という、従来の三分類の境界線は明確ではないことがわかる。『源氏物語大成』の「澪標」は別本としての採択がなかった。それを考慮しても、この【4類】を除いたもののうち、【2類】【3類】を、いわゆる青表紙本とするのは、本文内容の上からもまったく認められないことである。

 私案は、【5類】の河内本群との間に三割程度の本文異同を示す【1・2・3・4類】を、一括して別本群とするものである。阿部氏が提起された考え(既述の『源氏物語の本文』所収論稿)を踏まえて、具体的な本文検証を通して、河内本群と別本群という二つの本文分別を提示したい。これによって、今後の【1・2・3・4類】の位相の解明が、『源氏物語』の本文のありようを示すことになっていくのである。

 なお、本処理方法の詳細は伊藤のインターネット・ホームページ〈源氏物語電子資料館〉に掲載の〈文部省科学研究費補助金 平成九年度 研究成果報告書「源氏物語古写本における異本間の位相に関する研究」〉(http://www.mahoroba.ne.jp/~genjiito/HTML/kaken97/kaken97.html)を参照願いたい。本稿では異同に【0】【5】【10】の三段階のレベルに分けたが、上記報告書では、さらに詳細なレベルに分けて試みた例をあげている。総体に対して二、三割の異同を示す『源氏物語』の場合、その異同にさらなる詳細なランクを設定しても、全体の結果には大きな影響が及ばないことがわかった。そのために、本稿では、比較的単純な三段階のレベル分けによるチェックの結果を取り上げたものである。

 

    まとめ

 

 本稿は、「澪標」を例にして、諸本の本文をその内容から分別し、その諸相の一端を読み解こうとしたものである。一帖の検討に過ぎないが、ここでは従来の青表紙本・河内本・別本という概念に縛られないで考えてみた。阿部秋生氏の提言に沿って、河内本と別本という枠組みを意識しながら検討してきた。流布本である大島本との関係をも強く意識して、各伝本の位相を検討する中で、それぞれが示す本文の特徴を読みとることに留意したつもりである。そこで得られたものは、別本群と河内本群という二つのグループ分けができることであり、別本群の諸相が、特異な本文を伝える鶴見本から見えてきたと思う。

 諸本間における本文異同というべきもの、いわゆる異文は、『源氏物語』の場合はほぼ二割から三割の間の分量である。これは、『源氏物語』の本文が比較的安定していた証左である。しかし、その本文異同には、まったく性格を異にするものがあり、唯一の原本から発生したものとは思えないものも多いのが実体である。その中でも、特に鶴見本については、触れられなかった事例が多いながらも、その本文の指向するところの一端は読みとれたように思う。

 『源氏物語大成』の「澪標」には、別本としての本文の採択はなかった。また、この鶴見本が紹介されたのは、平成六年である。この本がなければ、「澪標」における諸本の分別は、従来の青表紙本と河内本、そして青表紙本に近いがやや性格を異にする別本群ということに落ち着いていたように思う。それが、この鶴見本を加えた検討を通して、阿部氏の提示された「別本と相対する本文は河内本だけ」という見通しを追認できる、検討の幅の広さを獲得できたのである。鶴見本は零本であり、「澪標」以外の本文のありようは今のところは不明である。それだけに、この特異な本文を伝える伝本の位相を確認することは、依然として遅れている源氏物語の本文研究において、有益な資料となるはずである。このような検討を集積する中で、従来のいわゆる青表紙本を包含した別本群という大きな枠組みを照射し、少しずつその中の各伝本の位相を確かめていく作業が急務である。不十分ながらも、本稿はこうした見通しのもとで『源氏物語』の本文群にアプローチを試みたものである。

 いわゆる青表紙本とは何かが改めて問われる今、大島本一辺倒の『源氏物語』受容に留まることなく、より多様な物語受容を試みる必要性を感じている。校訂結果よりも校訂過程を意識して、別本群の各種物語本文を読むことを心がけていきたい。

 

表紙
序文
凡例
論考
拾遺