表紙 
見返し 
510010 
510011 
510020 
宮なをかのほのかなりしゆふべを・覚し
わするゝ世なし・こと/\しきほどにはある
まじげなりしを・人がらのまめやかに
おかしうもありしかなと・あだなる御心
には・くちおしくてやみにしことと・ねた
うおぼさるゝまゝに・女君をもかうはか
なきことゆへ・あながちにかゝるすぢのも
のにくみし給げり・思はずに心うしと・は
づかしめうらみきこえ給おり/\は・いと
くるしうて・ありのまゝにや聞えてまし
とおぼせど・やむごとなきさまにはもてな
し給はざなれど・あさはかならぬかたに
510021 
こゝろとゞめて・人のかくしをき給へる人を・物
いひさがなく聞え出たらんにも・さてきゝ
すぐし給べき御心ざまにもあらざめり・
さふらふ人の中にも・はかなうものをも
の給ふなんと・おぼしたちぬるかぎりは・あ
るまじき里までも・尋させ給ふ御さまよ
からぬ本上なるに・さはかり月日をへて
覚ししむめるあたりは・ましてかならず
みぐるしきこととり出給てん・ほかより
つたへきゝ給はんはいかゞはせん・いづかたざ
まにもいとおしくこそはありとも・ふせ
ぐべき人の御こゝろざまならねば・よそ
510030 
の人よりはきゝにくゝなどばかりぞお
ぼゆべき・とてもかくてもわがをこたり
にては・もてそこなはじと思かへし給つゝ・
いとおしながらもきこえいで給はず・こと
ざまにつき%\しくはえいひなし給はねば・
をしこめて物ゑんじしたる・よのつねの
人になりてぞおはしける・かの人はたとし
へなくのとかにおぼしをきてゝ・待どをなり
と思ふらんと・こゝろぐるしうのみ思やり給
ひながら・所せきみの程を・さるべきついで
なくて・かやすくかよひ給べきみちならね
ば・「神のいさむるよりもわりなし・されど
510031 
今いとよくもてなさんとす・山里のなぐ
さめと・思をきてし心あるを・すこし日かず
もへぬべきことどもつくり出て・のどやか
に行てもみん・さてしばしは人のしるまじき
すみところして・やう/\さるかたにかのこ
ころをものとめをき・我ためにもひとの
もどきあるまじく・なのめにてこそよから
510040 
め・にはかに何人ぞ・いつよりなど・きゝとがめら
れんも物さはがしく・はじめの心にたがふべ
し・又宮の御かたのきゝおぼさんことも・もと
のところをきは/\しうゐてはなれ・昔を
わすれがほならんも・いとほいなしなど覚
ししづむるも・例のいとのどけさすぎた
る心からなるべし・わたすべき所おぼしま
うけて・忍びてぞつくらせ給ける・すこしいと
まなきやうにもなり給にたれど・宮の御
かたには・猶たゆみなく心よせつかうま
つり給ことおなじやうなり・みたてまつる
人もあやしきまで思へど・世中をやう/\
510041 
覚ししり・人の有様をみきゝ給まゝに・こ
れこそはまことに昔をわすれぬ心ながさの
なごりさへあさからぬためしなれと・哀
もすくなからず・ねひまさり給まゝに・
人がらも世の覚えも・さまことにものし
給へば・宮の御心のあまりたのもしげなき
時々は・おもはずなりけるすくせ哉・こ姫君の
おぼしをきてしまゝにもあらで・かく物
思はしかるべきかたにしもかゝりそめけんよ
と・おぼすおり/\おほくなん・されとたいめ
んし給ことはかたし・年月もあまりむか
しをへだてゆき・うち/\の御心をふかう
510050 
しらぬ人は・なを/\しきたゞ人こそ・さば
かりのゆかり尋たるむつびをも忘ぬに・
つき%\しけれ・中々かうかぎりある程に・例にたが
ひたる有さまそなど・いひおもはんもつゝましけれ
ば・宮のたえずおぼしうたがひたるも・いよ/\
くるしうおぼしはゞかり給つゝ・をのづからう
ときさまになり行を・さりとてもたえず
おなじこゝろのかはり給はぬなりけり・みや
もあだなる御本上こそみまうきふしも
まじれ・わか君のいとうつくしうおよすけ
給まゝに・ほかにはかゝる人も出くまじきに
やと・やんごとなきものにおぼして・うちと
510051 
けなつかしきかたには・人にまさりてもてな
し給へば・有しよりはすこし物思ひしづまり
てすぐし給・正月の一日すぎたる比わたり給
て・わか君のとしまさり給へるを・もてあそび
うつくしみ給ひるつかた・ちいさきわらは・みど
りのうすやうなるつゝみ文の・おほきやかなる
に・ちいさきひげこを小松につけたる・又すく
ずくしきたてぶみとりそへて・あふなくはし
り参る・女君にたてまつれば・みやそれはいづく
よりぞとの給ふ・宇治よりたいふのおとゞに
とて・もてわづらひ侍つるを・れいの御前に
てぞ御らんぜんとて・とり侍ぬるといふも・いと
510060 
あはたゝしきけしきにて・このこはかねをつ
くりて・色どりたるこなりけり・松もいとよう
にてつくりたるえたぞとよと・ゑみていひ
つゞくれば・みやもわらひ給て・いでわれもも
てはやしてんとめすを・女君いとかたはら
いたくおぼして・文はたいふがりやれとの給・御
かほのあかみたれば・みや大将のさりげなく
しなしたる文にや・うぢのなごりもつき
づきしとおぼしよりて・このふみをとり給
つ・さすがにそれならんときにとおぼす
に・いとまばゆければ・あけてみんよ・ゑんじ
やし給はんとするとのたまへば・みぐるしう
510061 
なにかはその女どちの中に・かきかよはした
らんうちとけぶみをば・御らんぜんとの給が・さ
はがぬ気色なれば・さばみんよ女のふみがき
は・いかゞあるとてあけ給へれば・いとわかやか
なるてにて・おぼつかなくてとしもくれ侍に
ける・山里のいぶせさこそ・峰のかすみもたえま
なくてとて・はしに・これわか君のおまへに・あ
やしう侍めれどゞかきたり・ことにらう/\
じきふしもみえねど・おぼえなきを御めた
てゝ・このたてぶみをみたまへば・げに女の
手にて・年あらたまりて・何事かさふら
ふ・御わたくしにも・いかにたのもしき御よろ
510070 
こびおほく侍らん・こゝにはいとめでたき御
すまゐのこゝろぶかきを・なをふさはしか
らずみ奉る・かくてのみつく%\とながめさ
せ給よりは・とき%\はわたりまいらせ給て
御心もなぐさめさせ給へと思侍るに・つゝまし
くおそろしき物におぼしこりてなん・ものう
きことになげかせ給める・わか君の御まへに
とて・卯づち参らせ給・おほきおまへの御
らんぜざらんほどに・御らんぜさせ給へとなん・
こま%\と・こといみもえしあへず・物なげかしげ
なるさまの・かたくなしげなるも・うち返し
/\・あやしと御らんじて・今はの給へかし・たが
510071 
ぞとの給へば・むかしかのやまざとに有ける人の
むすめの・さるやうありて・此ごろかしこに侍る
となんきゝ侍しと聞え給へば・をしなべてつか
うまつるとはみえぬ文がきをと心え給ふに・
かのわづらはしきこととあるにおぼしあはせつ
卯づちおかしう・つれ%\なりける人のしわざ
と見えたり・またぶりに山たちばなつくり
て・つらぬきそへたる枝に
510080 
__まだふりぬ物にはあれど君がためふか
き心にまつとしらなんと・ことなることなき
を・かのおもひわたる人のにやとおぼしより
ぬるに・御目とまりて・返事し給へ・なさけ
なし・かくい給べき文にもあらざめるを・など
御けしきのあしき・まかりなんよとてたち
給ぬ・女君少将などして・いとおしくも有つる
かな・おさなき人のとりつらんを・ひとはいかで
かみざりつるぞなど・しのびての給ふ・みたまへ
ましかばいかでかは参らせまし・すべて此こは・
心ちなうさしすぐして侍り・おひさきみえ
て・人はおほとかなるこそおかしけれなどにく
510081 
めば・あなかまおさなき人なはらだてそ
との給・こぞの冬人のまいらせたるわら
はの・かほはいとうつくしかりければ・宮もいと
らうたくし給なりけり・わが御かたにおはしま
して・あやしうもあるかな・うぢに大将のかよ
ひ給ふことは・年ごろたえずときく中にも・
忍びてよるとまり給時もありと人のいひ
しを・いとあまりなる人のかたみとて・さるま
じきところに・旅ねし給ふらんことゝ思つる
は・かやうの人かくしをき給へるなるべしと・お
ぼしうることもありて・御文のことにつけて・
つかひ給大内記なる人の・かの殿にしたしき
510090 
たよりを覚し出て・おまへにめす・参れり・
ゐんふたぎすべきに・集どもえり出て・こ
なたなるづしにつむべきことなどの給は
せて・右大将のうぢへいますること・猶たえ
はてずや・寺をこそいとかしこくつくり
たなれ・いかでかみるべきとの給へば・寺はいとか
しこくいかめしくつくられて・不断の三昧
だうなど・いとたうとくをきてられたり
となん・きゝ給ふる・かよひ給ことは・こぞのあき比
よりは・ありしよりもしば/\物し給ふなり・
しもの人々の忍びて申しは・女をなんかく
しすへさせ給へる・けしうはあらずおぼす
510091 
人なるべし・あのわたりにらうじ給所々
のひと・みなおほせにてまいりつかうまつ
る・殿ゐにさしあてなどしつゝ・京よりも
いとしのびてさるべきことなどとはせ給ふ・
いかなるさいはい人の・さすがにこゝろぼそく
てゐ給へるならんとなん・たゞこのしはす
のころほひ申と・きゝ給へしときこゆ・いと
うれしくもきゝつるかなとおもほして・たし
かにその人とはいはずや・かしこにもとより
ある・あまぞとふらひ給ときゝし・あまは
らうになんすみ侍ける・此人はいまたてられ
たるになん・きたなげなき女房などもあ
510100 
またして・口おしからぬけはひにてゐて侍
るときこゆ・おかしきことかな・何のこゝろあ
りて・いかなる人をかはさてすへ給つらん・
猶いと気色ありて・なべての人ににぬ
御こゝろなりや・ひだりのおとゞなど・この人
のあまり道心にすゝみて・山寺によるさへ
ともすればとまり給なる・かろ%\しさと
もどき給と聞しを・げになどかさしも仏
のみちには忍びありくらん・なをかのふる里
に心をとゞめたるとなんきゝし・かゝるこ
とこそはありけれ・いづらひとよりはまめ
なるとさかしがる人しも・ことに人の思ひ
510101 
いたるまじき・くまあるかまへよとの給て・い
とおかしとおぼひたり・此人はかの殿にいとむつ
ましくつかうまつる・けいしのむこになん有
けれは・かくし給こともきくなるべし・御心
のうちには・いかにしてこの人を・みし人かと
もみさだめん・かの君のさばかりにてすへたる
は・なべてのよろしき人にはあらじ・このわたり
にはいかでかうとからぬにかあらん・心をかは
してかくし給へりけるも・いとねたうおぼゆ・
たゞそのことをこのごろはおぼししみたり・
のり弓ないえんなどすぐして・こゝろのど
かなるに・つかさめしなどいひて・人の心つく
510110 
すめるかたは・何ともおぼさねば・うぢへしの
びておはしまさんことをのみおぼしめぐら
す・この内記は・のぞむことありて・よるひる
いかで御こゝろにいらんと思ふころ・れいより
はなつかしうめしつかひて・いとかたきこと
なりとも・我いはんことはたばかりてんやな
どの給・かしこまりてさふらふ・いとびんな
きことなれど・かのうぢにすむらんひとは・
はやうほのかにみし人の・行ゑもしらず
なりにしが・大将に尋とられにけりと・きゝ
510111 
あはすることこそあれ・たしかにはしるべき
やうもなきを・たゞものよりのぞきなど
して・それかあらぬかとみさだめんとなん
おもふ・いさゝか人にしらるまじきかまへは・いか
ゞすべきとのたまへば・あなわづらはしと
思へど・おはしまさんことは・いとあらき山ご
えになん侍れど・ことに程とをくはさふら
はずなん・夕つかた出させおはしまして・ゐね
の時にはおはしましつきなん・さて暁に
こそはかへらせ給はめ・人のしり侍らんこと
は・たゞ御ともにさふらひ侍らんこそは・それ
もふかきこゝろはいかでかしり侍らんと申
510120 
す・さかしむかしも一たび二たびかよひしみ
ちなり・かろ%\しきもどきおひぬべきが・も
のゝ聞えのつゝましきなりとて・返々ある
まじきことに・我御心にもおぼせど・かう
までうち出給ひつれば・え思ひとゞめ給
はず・御ともに・むかしもかしこのあないしれ
りしもの二三人・此内記・さては御めのとごの
蔵人よりかうふりえたるわかき人・むつま
しきかぎりをえり給て・大将けふあすよ
もおはせじなど・内記によくあないきゝ給
ひて・いでたち給につけても・いにしへをお
ぼしいづ・あやしきまで心をあはせつゝ・
510121 
ゐてありきし・人のために・うしろめたきわ
ざにもあるかなと・おぼしいづることもさま%\
なるに・京のうちだにむげに人しらぬ御
ありきは・さはいへどえし給はぬ御身にし
も・あやしきさまのやつれすがたして・御馬に
ておはする・こゝちも物おそろしくやゝま
しけれど・ものゝゆかしきかたはすゝみたる御
心なれば・山ふかうなるまゝに・いつしかいか
ならん・みあはすることもなくてかへらん
こそ・さう%\しくあやしかるべけれとおぼ
すに・こゝろもさはぎ給ふ・ほうさうじの
ほどまでは・御車にて・それよりぞ御馬に
510130 
はたてまつりける・いそぎて・よゐすぐるほどに
おはしましぬ・内記・あないよくしれるかの殿の
人にとひきゝたりければ・殿ゐ人あるかたには
よらで・あしがきしこめたるにしおもてを・や
をらすこしこぼちていりぬ我もさすがに
まだみぬ御すまゐなれば・たど/\しけれど・
人しげうなどしあらねば・寝殿のみなみ
おもてにぞ・火ほのぐらうみえて・そよ/\とを
とする・まいりて・まだひとはおきて侍るべし・
たゞこれよりおはしまさんとしるべして・いれ
たてまつる・やをらのぼりて・かうしのひま
あるをみつけてより給に・いよすはざら%\
510131 
となるもつゝまし・あたらしうきよげに
つくりたれど・さすがにあら/\しくてひ
まありけるを・たれかはきてみんとうちとけ
て・あなもふたがぬなるべし・木丁のかたびら
打かけてをしやりたり・火あかうともして・
物ぬふ人三四人ゐたり・わらはのおかしげな
る・いとをぞよる・これがかほ・まづかのほか
げにみ給しそれなり・うちつけめかと
猶うたがはしきに・右近となのりしわかき人
もあり・君はかひなを枕にて・火をながめた
るまみ・かみのこぼれかゝりたるひたいつき
いとあてやかになまめきて・たいの御かたに
510140 
いとよう覚えたり・この右近ものおるとて・
かくてわたらせ給なば・とみにしもえかへり
わたらせ給はじを・殿はこのつかさめしのほ
どすぐして・一日ごろにはかならずおはしま
しなんと・昨日の御使も申けり・御ふみには
いかゞきこえさせ給へりけんといへど・いらへもせず・
いと物思ひたるけしきなり・おりしもはひか
くれさせ給へるやうならんが・みぐるしさと
いへば・むかひたる人・それはかくなんわたり
給ひぬると・御せうそこ聞えさせ給へらん
510141 
こそよからめ・かる%\しういかでかは・をとな
くてははひかくれさせたまはん・御ものまう
ての後は・やがてわたりおはしましねかし・
かくて心ぼそきやうなれど・心にまかせて
やすらかなる御すまゐにならひて・なか/\
たびごゝぢすべしやなどいふ・またあるは・猶
しばしかくて待聞えさせ給はんぞ・のどやか
にさまよかるへきや・京へなどむかへ奉らせ給
へらん後・おだしくておやにもみえたてま
つらせ給へかし・このおとゞのいときうにもの
し給て・にはかにかう聞えなし給なめりかし・
むかしもいまも物ねんじして・のどかなる
510150 
人こそ・さいはいはみはて給なれなどい
ふなり・右近などてこのまゝをとゞめた
てまつらずなりにけん・老ぬる人は・むつか
しき心のあるにこそとにくむは・めのとやう
のひとをそしるなめり・げににくきもの
ありきかしと覚し出るも・夢の心ちぞす
る・かたはらいたきまで・うちとけたること
どもをいひて・みやのうへこそいとめでたき
御さいはいなれ・左の大殿のさばかりめでたき
御いきほひにて・いかめしうのゝしり給なれど・
わかぎみむまれ給て後は・こよなくぞおは
しますなる・かゝるさかしら人どものおはせ
510151 
で・御心のとがに・かしこうもてなして・おは
しますにこそはあめれといふ・殿だにまめ
やかに思ひきこえ給ことかはらずは・をとり
きこえ給べきことかはといふを・君すこし
おきあがりて・いときゝにくきことよその
人にこそをとらじともいかにとも思はめ・
かの御ことな・かけてもいひそ・もり聞ゆる
やうもあらば・かたはらいたからんなどいふ・
なにばかりのしぞくにかはあらん・いとよく
もにかよひたるけはひかなと・思くらぶる
に・心はづかしげにて・あてなる所はかれは
いとこよなし・これはたゞらうたけに・こま
510160 
かなる所ぞ・いとおかしき・よろしうなり
あはぬ所をみつけたらんにてだに・さばか
りゆかしと覚ししめたる人を・それとみ
てさてやみ給べき御心ならねば・ましてくま
もなくみ給に・いかでかこれをわがものには
なすべきと・わりなくおぼしまどひぬ・物へ
ゆくべきなめり・おやはあるべし・いかでこゝならで・
又はたづねあふべき・こよひのほどにはまたいか
がすべきと・こゝろもそらになり給て・な
をまもり給へば右近いとねふたし・よべもす
すろにおきあかしてき・つとめてのほどに
もこれはぬひてん・いそがせ給共・御車は日た
510161 
けてぞあらんといひて・しさしたる物ども
とりぐして・木丁にうちかけなどし
つゝ・うたゝねのさまによりふしぬ・君も
すこしおくにいりてふす・右近北おもてに
いきて・しばし有てぞきたる・君の跡ちかく
ふしぬ・ねふたしと思ければ・いととうね
いりぬる気色をみ給て・又せんやうもなけ
れば・忍びやかにこのかうしをたゝき給・右
近きゝつけて・たそといふ・こはづくり給へ
ば・あてなるしはぶきときゝしりて・殿の
おはしたるにやと思て・おきて出たり・まづ
これあけよとの給へば・あやしう覚えなき
510170 
ほどにも侍るかな・夜はいたうふけて侍らん
物をといふ・ものへわたり給べかなりと仲信
がいひつれば・おどろかれつるまゝに出たちて・
いとこそわりなかりつれ・まづあけよとの給ふこゑ・
いとようまねびにせ給て・忍びたれば・思ひ
もよらずかいはなつ・みちにていとわり
なくおそろしきことのありつれば・あやし
きすがたに成てなん・火くらうなせとの
給へば・あないみじとあはてまどひて・火は
とりやりつ・われ人にみすなよ・きたり
とて人おどろかすなと・いとらう/\じき
御こゝろにて・もとよりほのかに似たる御こ
510171 
ゑを・たゞかの御けはひにまねびていり給ふ・
ゆゝしきことのさまとの給へる・いか成御すがた
ならんといとおしくて・我もかくろへてみた
てまつる・いとほそやかになよ/\とさうぞき
て・かのかうばしきこともをとらず・ちかうよ
りて・御ぞどもぬぎ・なれがほに打ふし給へ
れば・例のおましにこそなどいへど・ものもの
給はず・御ふすままいりて・ねつる人々おこ
して・すこししぞきてみなねぬ・御とも
の人など・例のこゝにはしらぬならひにて・
哀なる夜のおはしましさまかな・かゝる御あ
りさまを御らんじしらぬよなど・さかし
510180 
らがる人もあれど・あなかま給へ・夜ごゑはさゝ
めくしもぞ・かしかましきなどいひつゝねぬ・女
君はあらぬ人なりけりと思ふに・あさまし
ういみじけれど・こゑをだにせさせ給はず・
いとつゝましかりし所にてだに・わりなか
りし御心なれば・ひたふるにあさまし・はじ
めよりあらぬ人としりたらば・いさゝかいふ
かひもあるべきを・夢のこゝちするに・やう/\そ
のおりのつらかりしこと・としごろおもひわ
たるさまの給に・この宮としりぬ・いよ/\は
づかしく・かのうへのおぼさんことなど思に・ま
たたけきことなければ・かぎりなうなく・
510181 
宮もなか/\にて・たはやすくあひみざらん
ことなどをおぼすになき給ふ・夜はたゞあ
けにあく・御ともの人きてこはづくる・右近き
きてまいれり・出給はん心ちもなくあかずあ
はれなるに・またおはしまさんこともかたけれ
は・京にはもとめさはがるとも・けふばかりはか
くてあらん・なにごとも「いけるかぎりのため
こそあれ・たゞいまいでおはしまさば・まこ
とにしぬべくおぼさるれば・この右近をめ
しよせて・いとこゝちなしと思はれぬべ
けれど・けふはえいづまじうなんある・おのこ
どもは・このわたりちかゝらんところに・よく
510190 
かくろへてさふらへ・ときかたは京へものして・
山寺に忍びてなんと・つき%\しからんさま
に・いらへなどせよとの給に・いとあさま
しくあきれて・心もなかりけるよのあ
やまちを思ふに・こゝちもまどひぬべき
を・思しづめて・今はよろつにおぼゝれさは
ぐともかひあらじものからなめげなり・あ
やしかりしおりに・いとふかうおぼしいれたり
しも・かうのがれざりける御すくせにこそあ
りけれ・人のしたるわざかはと思ひなぐさめ
て・けふ御むかへにと侍しを・いかにせさせ給は
んとする御ことにか・かうのがれきこえさせ
510191 
給まじかりける御すくせは・いときこえさせ侍
らんかたなし・おりこそいとわりなく侍れ・
けふはいでおはしまして・御心ざし侍らば・の
どかにもときこゆ・およすけてもいふかな
と覚して・我は月ごろ物思つるにほれはてに
ければ・人のもどかんもしらず・ひたふるに
思ひなりにたり・すこしも身のことを思は
ば・かゝらん人のかゝるありきは思たちなん
や・御かへりには・けふはものいみなどいへかし・
人にしらるまじきことを・たがためにも思
へかし・こと事はかひなしとの給て・此人の世
にしらず哀におぼさるゝまゝには・よろづ
510200 
のそしりもわすれ給ぬべし・右近いでゝ・
このをとなふ人に・かくなんの給はするを・
猶いとかたわならんとを申させ給へ・あさま
しうめづらかなる御有様は・さおぼしめす
とも・かゝる御ともの人どもの御こゝろに
こそあらめ・いかでかう心おさなうはゐて
奉り給しぞ・なめげなることを聞えさす
る・山がつなども侍らましかは・いかならま
しといふ・内記はげにいとわづらはしく
もあるかなと思たてり・ときかたとおほせ
らるゝはたれにか・さなんとつたふ・わらひ
てかうがへ給ことどものおそろしければ・さ
510201 
らずともにけてまかでぬべし・まめやか
にはをろかならぬ御気色をみたてまつれ
ば・たれも/\身をすてゝなん・よし/\殿ゐ人
もみなおきぬなりとていそぎ出ぬ・右近
人にしらすまじうは・いかゞはたばかるべき
と・わりなうおぼゆ・人々おきぬるに・殿は
さるやう有て・いみじうしのびさせ給ふけし
きみたてまつれば・みちにていみじきことの
ありけるなめり・御ぞ共など・よさりしのび
てもてまいるべくなん・仰られつるなどいふ・
ごだちあなむくつけや・こはたやまはいとお
そろしかなる山ぞかし・例の御さきもおはせ
510210 
給はず・やつれておはしましけんよ・あない
みじやといへば・あなかま/\・下すなどのち
りばかりもきゝたらんに・いといみじからん
といひゐたるこゝちおそろし・あやにくに殿
の御使のあらん時・いかにいはんと・はつせの
観音・けふことなくてくらし給へと・大願をぞ
たてける・いしやまにけふまうでさせんとて・
母君のむかふるなりけり・この人々もみなさ
うじし・きよまはりてあるに・さらばけふは
えわたらせ給まじきなめりな・いとくち
おしきことゝいふ・日たかくなれば・かうしなど
あげて・右近ぞちかくつかうまつりける・もや
510211 
のすだれはみなおろしわたして・ものいみなど
かゝせてつけたり・母君もやみづからおはする
とて・夢みさはがしかりつといひなすなり
けり・御てうづなどまいりたるさまは・例の
やうなれど・まかなひめさましうおぼされ
て・そこにあらはせ給はゞとの給ふ・女いと
さまよう心にくき人をみならひたるに・
時のまもみざらんはしぬべしとおぼしこ
がるゝ人を・心ざしふかしとは・かゝるをいふに
やあらんと思しらるゝにも・あやしかりける
身かな・たれもものゝ聞えあらば・いかにおぼ
さんと・まづかのうへの御こゝろを思おきみ
510220 
ゆれど・しらぬを返々いと心うしなをあ
らんまゝにの給へ・いみしきげすといふとも
いよ/\なん哀なるへきとわりなうとひ
たまへど・その御いらへはたえてせず・こと/\
は・いとおかしく・けぢかきさまにいらへきこ
えなどして・なびきたるを・いと限なうら
うたしとのみ見給・日たかくなる程に・む
かへの人きたり・車二・馬なる人々の・例の
あらゝかなる七八人・をのこ共おほく・しな/\
しからぬけはひ・さえづりつゝいりきたれば・
人々かたはらいたがりつゝ・あなたにかくれよ
といはせなどす・右近いかにせん・とのなん
510221 
おはするといひたらんに・京にさばかりの人の
おはしおはせず・をのづからきゝかよひて・かく
れなきこともこそあれと思て・この人々にも
ことにいひあはせず・返事かく・よべよりけ
がれさせ給て・いとくちおしきことをおぼし
なげくめりしに・こよひ夢みさはがしく
みえさせ給へれば・けふばかりつゝしませ給へ
とてなん・物いみにて侍る・返々口おしく・物
のさまたげのやうにみたてまつり侍とかき
て・人々にものなどくはせてやりつ・あま
510230 
君にもけふはものいみにて・わたり給はぬと
いはせたり・れいはくらしがたくのみ・かすめる
山ぎはをながめ佗給に・くれ行は・わびしく
のみおぼしいらるゝ人にひかれたてまつりて・
いとはかなう暮ぬ・まぎるゝことなくのど
けき春の日に・「みれとも/\あかず・そのこ
とそと覚ゆるくまなく・あい行つきなつ
かしくおかしげなり・さるはかのたいの御かた
にはにをとりたり・大殿の君のさかりに匂ひ
給へるあたりにては・こよなかるべきほどの
人を・たぐひなくおぼさるゝほどなれば・まだ
しらずおかしとのみみ給ふ・女はまた大将殿
510231 
をいときよげに・又かゝる人あらんやとみしか
ど・こまやかに匂ひきよらなることは・こよ
なくおはしけりとみる・すゞりひきよせて・
手ならひなどし給・いとおかしげにかきすさ
ひ・ゑなどをみ所おほくかき給へれば・わかき
こゝちには・おもひもうつりぬべし・心より
ほかに・えみさらん程は・これをみ給へよとて・
いとおかしげなる男女・もろともにそひふし
たるかたをかき給て・つねにかくてあらばや
などの給も・涙おちぬ
__ながき世をたのめても猶かなしきはたゞあ
すしらぬ命成けり・いとかう思こそゆゝし
510240 
けれ・心に身をもさらにえまかせず・よろ
つにたばからんほど・まことにしぬべくな
んおぼゆる・つらかりし御ありさまを・中/\
なにゝたづねけんなどのたまふ・女ぬらし
給へる筆をとりて
__こゝろをばなげかざらまし命のみさだ
めなき世とおもはましかば・とあるを・かはら
んをばうらめしう思ふべかりけりとみ給ふ
にも・いとらうたし・いかなる人のこゝろがはり
をみならひてなど・ほゝゑみて・大将のこゝに
わたしそめ給けんほどを・返々ゆかしがり
給ひてとひ給を・くるしがりて・えいはぬことを・
510241 
かうの給こそとうちゑじたるさまもわかび
たり・をのづからそれはきゝ出てんとおぼす
物から・いはせまほしきぞわりなきや・よさり
京へつかはしつるたゆふ参りて・右近にあひた
り・后のみやよりも御使参りて・左のおとゞ
もむつかり聞えさせ給て・人にしらさせ給は
ぬ御ありきは・いとかる%\しくなめげなる
こともあるを・すべてうちなどにきこしめ
さんことも・身のためなんいとからきと・いみじ
く申させ給けり・東山にひじり御らんじに
となん・ひとにはものし侍つるなどかたりて・
女こそつみふかうおはするものにはあれ・すゞ
510250 
ろなるけそうのひとをさへまどはし給て・空
言をさへせさせ給よといへば・ひじりの名を
さへつけきこえさせ給てげれば・いとよし・わた
くしのつみもそれにてほろぼし給らん・まこ
とにいとあやしき御心の・げにいかでなら
はせ給けん・かねてかうおはしますべしと・う
けたまはらましにも・いとかたじけなければ・
たばかり聞えさせてまし物を・あふなき御
ありきにこそはとあつかひ聞ゆ・まいりて
さなんとまねび聞ゆれば・げにいかならんとお
ぼしやるに・所せき身こそわびしけれ・かろら
かなる程の殿上人などにて・しばしあらばや・
510251 
いかゞすべき・かうつゝむべき人めもえはゞかり
あふまじくなん・大将もいかに思はんとすらん・
さるべきほとゝはいひながら・あやしきまで
むかしよりむつましき中にかゝる心のへだて
のしられたらん時・はづかしう・またいかにぞや・
よのたとひにいふこともあれば・まちどをなる
わがをこたりをもしらず・うらみられ給は
んをさへなんおもふ・夢にも人にしられ給ま
じきさまにて・こゝならぬところにゐて
はなれたてまつらんとぞの給ふ・けふさへかく
てこもりゐ給べきならねば・出給なんとす
るにも・「袖の中にぞとゞめ給へらんかし・明
510260 
はてぬさきにと・人々しはぶきおどろかし
聞ゆ・つま戸にもろ共にゐておはして・え
出やり給はず
__世にしらずまどふべきかなさきにたつ
涙もみちをかきくらしつゝ・女もかぎりなく
あはれと思けり
__涙をもほどなき袖にせきかねていかに
別をとゝむべき身ぞ・風の音もいとあらま
しう・霜ふかきあかつきに・「をのがきぬ%\
も・ひやゝかになりたるこゝちして・御馬に
のり給ふほど・引かへすやうにあさましけ
510261 
れど・御ともの人々いとたはふれにくし
と思て・たゞいそがしにいそがしいづれば・
我にもあらで出給ぬ・この五位二人なん・御
馬のくちにはさふらひける・さかしき山こ
えはてゝぞ・をの/\馬にはのる・汀のこほり
をふみならす馬のあしをとさへ・心ぼそく
ものがなし・むかしもこのみちにのみこそは・
かゝる山ぶみはし給しかば・あやしかりける里
のちぎりかなとおぼす・二条院におはしまし
つきて・女君のいと心うかりし御物がくし
もつらければ・心やすきかたにおほ殿ごもり
ぬるに・ねられ給はず・いとさびしきに・もの
510270 
思ひまされば・心よはく・たいにわたり給ぬ・なに
ごゝろもなく・いときよげにておはす・めづ
らしくおかしとみ給し人よりも・またこ
れはなをありがたきさまはし給へりかし
と・み給物から・いとよくにたるをおもひ出給
も・むねふたかれば・いたくものおぼしたるさま
にて・み丁にいりておほとのごもる・女君もゐ
ていりきこえ給て・心ちこそいとあしけれ・
いかならんとするにかと・こゝろぼそくなん
ある・丸はいみじく哀とみをいたてまつると
も御有さまはいとゝくかはりなんかし・ひ
とのほいはかならずかなふなればとの給ふ・
510271 
けしからぬことをも・まめやかにさへの給か
なと思て・かうきゝにくきことのもり聞え
たらば・いかやうに聞えなしたるにかと・人
も思より給はんこそあさましけれ・心うき
身には・すゞろなることも・いとくるしくとて・
そむき給へり・宮もまめたち給て・まことに
つらしと思きこゆることもあらんは・いかゞお
ぼさるべき・丸は御ためにはをろか成人かは・
ひとも有がたしなどとがむるまでこそあ
れ・人にはこよなうおもひおとし給べかめり・
それもさるべきにこそはとことはらるゝ
を・へだて給御心のふかきなん・いと心うき
510280 
との給にも・すくせのをろかならで・尋よ
りたるぞかしとおぼし出るに・涙ぐまれぬ・
まめやかなるをいとおしう・いかやうなるこ
とをきゝ給へるならんと・おどろかるゝに・
いらへ聞え給はんこともなし・物はかなきさ
まにてみそめ給しに・なにごとをもかろ
らかにをしはかり給にこそはあらめ・すゞ
ろなる人をしるべにて・その心よせを思し
りはじめなどしたるあやまち斗に・おぼえ
をとる身にこそとおぼしつゞくるも・よろ
づかなしくて・いとゞらうたげなる御けは
510281 
ひなり・かの人みつけたりとはしばししら
せたてまつらじとおぼせば・ことざまに思
はせてうらみ給を・たゞこの大将の御こと
を・まめ/\しくの給とおぼすに・ひとや
空ごとをたしかなるやうに聞えたらん
などおぼす・ありやなしやをきかぬまは・み
えたてまつらんもはづかし・うちより大宮
の御ふみあるに・おどろき給て・なを心とけ
ぬ御けしきにて・あなたにわたり給ぬ・昨
日のおぼつかなさを・なやましくおぼされた
なる・よろしくはまいりたまへ・久しうもなり
にけるをなどやうに・きこえ給へればさはがれ
510290 
たてまつらんもくるしけれど・まことに御
心ちもたがひたるやうにて・その日はまいり
給はず・上達部などあまたまいり給へど・み
すのうちにて暮し給・夕つかた右大将まい
り給へり・こなたにをとて・うちとけながら
たいめんし給へり・なやましげにおはします
と侍つれば・宮にもいとおぼつかなくおぼし
めしてなん・いかやうなる御なやみにかと聞
え給ふ・みるからにこゝろさはぎのいとゞま
されば・ことずくなにて・ひじりだつといひ
ながら・こよなかりける山ぶし心かな・さば
かり哀なる人をさてをきて・心のとかに・
510291 
月日を待わびさすらんよとおぼす・例は
さしもあらぬことのついでにたに・我はまめ
人ともてなし・なのり給をねたがり給て・
よろづにの給ひやぶるを・かゝること見あら
はいたるを・いかにの給はまし・されどさやう
のたはふれごともかけ給はず・いとくるしげ
にみえたまへば・ふびんなるわざかな・おど
ろ/\しからぬ御こゝちのさすがに日か
ずふるは・いとあしきわざに侍る・御かせ
よくつくろはせ給へなど・まめやかに聞え
をきて出給ぬ・はづかしげなる人なりかし・
わがありさまをいかに思くらべけんなど・さ
510300 
ま%\なることにつけつゝも・たゞこのひ
とを・時のまわすれず覚しいづ・かしこに
は石山もとまりて・いとつれ%\なり・御
ふみには・いといみじきことをかきあつめ
給てつかはす・それだに心やすからず・時
方とめしゝ・たいふのずざの・心もしらぬ
してなんやりける・右近がふるくしれり
ける人の・殿の御ともにて尋ね出たる・さ
らがへりて念比がると・友だちにはいひ
きかせたり・よろづ右近ぞ空ごとしならひ
ける・月もたちぬ・かうおぼしいらるれど・おは
しますことはいとわりなし・かうのみ物を
510301 
思はゞ・さらにえながらふまじき身なめり
と・こゝろぼそさをそへてなげき給ふ・大将殿
すこしのどかになりぬるころ・例の忍びてお
はしたり・寺に仏などおがみ給・御ず経せさ
せ給・僧にもの給ひなどして・夕つかたこゝ
にはしのびたれど・これはわりなくもやつ
し給はず・ゑぼしなをしのすがた・いとあら
まほしくきよげにて・あゆみいり給より・
はづかしげによういことなり・女いかてみ
えたてまつらんとすらんと・そらさへはづか
しくおそろしきに・あながちなりし人
の御有様・うち思ひ出らるゝに・またこの人
510310 
にみえたてまつらんを・思やるなんいみじう
心うき・我はとしごろみるひとをも・みな思
ひかはりぬべき心ちなんするとの給しを・
げにその後御こゝちくるしとて・いづくにも
いづくにも・例の御有様ならで・みず法な
どさはぐなるをきくに・またいかにきゝて
おぼさんと思ふもいとくるし・この人はた・
いとけはひことに心ふかく・なまめかしき
さまして・ひさしかりつるほどのをこたり
などの給も・ことおほからず・恋しかなしと
おりたゝねど・つねにあひみぬ恋のくるし
さを・さまよきほどにうちの給へる・いみ
510311 
じくいふにはまさりて・いと哀と人の思ひぬ
べきさまをしめ給へる人がらなり・えんなるか
たはさる物にて・ゆくすゑながく・人のたの
みぬべき心ばへなど・こよなくまさり給へ
り・思はずなるさまのこゝろばへなど・もり
きかせたらんとき・なのめならずいみじく
こそあべけれ・あやしううつし心もなう・おぼ
しいらるゝ人を哀と思ふも・それはいとあ
るまじくかろきことぞかし・このひとにう
しと思はれて・忘れ給ひなん心ぼそさは・
いとふかうしみぬべければ・おもひみだれたる
けしきを・月比にこよなう物のこゝろしり・
510320 
ねびまさりにけり・つれ%\なるすみかの程
に・思のこすことはあらじかしとみ給ふも・
心ぐるしければつねよりもこゝろとゞめて
かたらひ給・つくらする所やう/\よろし
うしなしてげり・一日なんみしかば・こゝより
はけぢかき水に・花もみ給つべし・三条宮
もちかきほどなり・あけくれおぼつかなき
へだても・をのづからあるまじきを・この春
のほどにさりぬべくはわたしてんと思て
の給ふも・かの人ののどかなるべきところ・思
ひまうけたりと・昨日もの給へりしを・
かゝることもしらで・さおぼすらんよと哀
510321 
ながらもそなたになびくべきにはあらず
かしと思ふからに・有し御さまのおもかげに
おぼゆれば・我ながらもうたてこゝろうのみ
やと・思ひつゞけてなきぬ・御心はへのかゝ
らでおいらかなりしこそ・のどかにうれ
しかりしか・人のいかにきこえしらせた
ることかある・すこしもをろかならん心ざ
しにては・かうまでまいりくべきみのほ
ど・道のありさまにもあらぬをなど・つ
いたち比の夕月夜に・すこしはしちかくふ
してながめいだし給へり・男は過にしかた
の哀をもおぼし出て・女はいまよりそひた
510330 
る身のうさをなげきくはへてかたみにもの
おもはし・山のかたはかすみへだてゝ・さむきす
さきにたてる・かさゝぎのすがたも・所からは
いとおかしうみゆるに・宇治橋のはる/\と
みわたさるゝに・柴つみ舟の所々に行ち
がひたるなど・ほかにてはめなれぬこと共
のみ・とりあつめたる所なればみ給たびごと
に・猶そのかみのことのたゝ今の心ちして
いとかゝらぬひとをみかはしたらんだに・
めづらしきなかの哀おほくそひぬべき程也
まいて恋しき人によそへられたるもこよ
なからず・やう/\物の心しり・都なれ行有
510331 
さまのおかしきも・こよなくみまさりした
る心ちし給に・女はかきあつめたるこゝろのう
ちにもよほさるゝ涙・ともすれば出たつを
なぐさめかね給つゝ
__宇治はしのながきちぎりはくちせじを
あやぶむかたに心さはぐな・いまみ給ひてんと
の給
__たえまのみ世にはあやうき宇治橋を朽
せぬものとなをたのめとや・さき%\よりも
いとみすてがたく・しばしもたちとまらま
ほしくおぼさるれど・人の物いひのやすから
ぬにいまさらなり・こゝろやすきさまにて
510340 
こそなどおぼしなして・あか月にかへり給ぬ
いとようもおとなびたりつる哉と・心ぐるしく
おぼし出ること・ありしにまさりけり・きさ
らきの十日の程に・内に文つくらせ給と
て・この宮も大将もまいりあひ給へり・おり
にあひたるもののしらべどもに・宮の御こゑは
いとめでたくて・梅がえなどうたひ給・なに
ごとも人よりは・こよなうまさり給へる御さ
まにて・すゞろなることおぼしいらるゝのみ
なん・つみふかゝりける・雪にはかにふりみ
たれ・かぜなどはげしければ・御あそび
とくやみぬ・この宮の御殿ゐ所に・人々ま
510341 
いり給ふ・物まいりなどして・うちやすみ給へり・
大将人に物の給はんとて・すこしはしちかく出
給へるに・雪やう/\つもり・星の光におぼ/\
しきを・「やみはあやなしとおぼゆるにほひ
ありさまにて・「衣かたしきこよひもやとう
ちずじ給へるも・はかなきことをくちずさ
ひにのたまへるも・あやしく哀なるけしき
そへる人ざまにて・いとものふかげなり・ことし
もこそあれと・みやはねたるやうにて・御こゝろ
さはぐ・をろかには思はぬなめりかし・かた
しく袖を我のみ思やるこゝちしつるを・
おなしこゝろなるも哀なり・わびしくも
510350 
あるかな・かばかりなるもとつひとををきて・
我かたにまさる思ひは・いかでかつくべきぞと・
ねたうおぼさる・つとめて雪のいとたかうつ
もりたるに・文たてまつり給はむとて・御ま
へにまいり給へる御かたち此比いみじくさかり
にきよげなり・かの君もおなじほどにて・
いま二三まさるけぢめにや・すこしねび
まさる気色よういなとぞ・ことさらにもつく
りたらんやうに・あてなる男のほんにしつへ
くものし給・御門の御むこにてあかぬことな
しとぞ・世のひともことはりける・さえなと
も・おほやけ/\しきかたも・をくれずぞお
510351 
はすべき・ふみかうしはてゝ・みな人まかで給・
みやの御ふみをすぐれたりとずじのゝしれ
ど・なにともきゝいれ給はず・いかなる心ちに
て・かゝることをもしいづらんと・そらにのみ
おもほしほれたり・かの人の御けしきにも・い
とゞおどろかれ給ければ・あさましうたば
かりて・おはしましたり・京には友まつばかりき
えのこりたる雪・山ふかくいるまゝに・やゝふり
つみたり・常よりも・わりなきまれのほそ
みちをわけ給ふほど・御ともの人も・なきぬ
ばかりおそろしう・わづらはしきことをさへ思
ふ・しるべの内記は・しきぶの少輔をなんかけた
510360 
りける・いづ方もいづかたも・こと/\しかるべき
つかさながら・いとつき%\しく・ひきあげなと
したるすがたも・おかしかりけり・かしこには・
おはせんとありつれど・かゝる雪にはと・うち
とけたるに・夜ふけて右近にせうそこし
たり・あさましう哀と・君もおもへり・右近
いかになりはて給べき御有様にかと・かつは
くるしけれど・こよひはつゝましさも忘ぬべ
し・いひかへさむかたもなければ・おなじやうに・
むつましくおぼいたるわかき人の・心ざまあふ
なからぬをかたらひて・いみじくわりなき
こと・おなじこゝろにもてかくし給へといひ
510361 
てげり・もろともにいれたてまつる・みちの
程にぬれ給へる御ぞの香の・所せうにほふ
も・もてわづらひぬべけれど・彼人の御け
はひに似せてなん・もてまぎらはしける・夜の
程に立かへり給はんも・中々なるべければ・こゝ
のひとめもいとつゝましさに・時方にたば
からせ給て・河よりをちなる人の家に・ゐ
ておはせんとかまへたりければ・さきだてゝ
つかはしたりける・夜ふくるほどにまいれり・
いとよくよういしてさふらふと申さす・こ
はいかにし給ことにかと・右近もいと心あ
はたゝしければ・ねをびれておきたるこゝ
510370 
ちもわなゝかれて・あやしわらはべのゆきあ
そびしたるけはひのやうにぞふるひあがり
ける・いかでかなどもいひあへさせ給はず・かき
いだきて出給ぬ・右近はこゝのうしろみに
とゞまりて・侍従をぞたてまつる・いとはか
なげなるものと・あけくれみいだす・ちいさ
き舟にのり給て・さしわたり給程・はるかなら
ん岸にしも・こぎはなれたらんやうに・心ぼ
そくおぼえて・つとつきていだかれたるも・い
とらうたしとおぼす・有明の月すみのぼ
りて・水のおもてもくもりなきに・これな
んたちばなの小島と申て・御舟しばしさし
510371 
とゞめたるをみたまへば・おほきやかなる岩
のさまして・ざれたるときは木のかげし
げれり・かれみ給へいとはかなけれど・千年
もふべき・みどりのふかさをとの給て
__としふともかはらんものかたち花の小
島のさきにちぎるこゝろは・女もめづらし
からんみちのやうにおぼえて
__たちばなのこじまはいろもかはらじを
このうき舟ぞゆくゑしられぬ・おりから人
のさまに・おかしくのみなにごともおぼしなす・
かのきしにさしつきて・おり給に・人にいだか
せ給はんはいとこゝろぐるしければ・いだき
510380 
給てたすけられつゝいり給を・いとみぐるし
く・なにびとをかくもてさはぎ給ふらんとみ
たてまつる・時方がをぢの・いなばのかみなる
が・らうずるさうに・はかなうつくりたる家
なりけり・まだいとあら/\しきに・あじろ
屏風など・御らんじもしらぬしつらひに
て・風もことにさはらず・かきのもとに雪
むらぎえつゝ・今もかきくもりつゝふる・日さ
し出て・軒のたるひのひかりあひたるに・
人の御かたちもまさる心ちす・宮もところ
せき道のほどに・かるらかなるべきほどの
御ぞどもなり・女もぬぎすべさせ給てし
510381 
かば・ほそやかなるすがたつき・いとおかしげなり・
ひきつくろふこともなく・うちとけたるさ
まを・いとはづかしくまばゆきまできよ
らなるひとに・さしむかひたるよとおもへ
ど・まぎれんかたもなし・なつかしきほど
なるしろきかぎりを五ばかり・袖ぐちすそ
のほどまでなまめかしく・色々にあまた
かさねたらんよりもおかしうきなしたり・
つねにみ給人とても・かくまでうちとけた
るすがたなどは・みならひ給はぬを・かゝる
さへぞなをめづらかにおかしうおぼされける・
侍従もいとめやすきわか人なりけり・
510390 
これさへかゝるをのこりなうみるよと・女君
はいみじと思ふ・宮もこれは又たそ「我名も
らすなよとくちがため給を・いとめでたし
と思きこえたり・こゝの宿もりにてすみけ
るもの・時方をしうと思てかしづきありけば・
このおはしますやり戸をへだてゝ所えがほに
ゐたり・こゑひきしゞめかしこまりて・物がた
りしけるを・いらへもえせずおかしと思ひけ
り・いとおそろしくうらなひたる物いみに
より・京のうちをさへさりてつゝしむなり
ほかの人よすなといひたり・人めもたえて
心やすくかたらひくらし給ふ・かの人のもの
510391 
したまへりけんに・かくてみえけんかしとおぼ
しやりて・いみじくうらみ給ふ・二の宮をいと
やむごとなくてもちたてまつりたまへるあ
りさまなどもかたり給・かのみゝとゞめ給ひ
し一ことは・のたまひ出ぬぞにくきや・時方
御てうづ御くだものなど・とりつぎてまいる
を御らんじて・いみじくかしづかるめるまらう
とのぬし・きてなみえそやと・いましめ給ふ侍
従色めかしきわかうどのこゝちに・いとおか
しと思て・この大夫とぞ物語してくらし
ける・ゆきのふりつもれるに・我すむかたをみ
やり給へば・霞のたえ/\に木末ばかりみゆ・山
510400 
はかゞみをかけたるやうに・きら/\と・夕日に
かゝやきたるに・よべわけこしみちのわりなさ
など・あはれおほうそへてかたり給ふ
__峰の雪汀のこほりふみわけて君にぞま
どふ道はまどはず・「こはたの里に馬はあれど
など・あやしきすゞりめし出て・手ならひ
し給ふ
__ふりみだれみぎはにこほる雪よりもなか
ぞらにてぞ我はけぬべき・とかきけちたり・
此中空をとがめ給・げににくゝもかきてげる
かなと・はづかしくてひきやりつ・さらでだに
みるかひある御さまを・いよ/\あはれにいみじ
510401 
と・人の心にしめられんと・つくし給ふ言の
はけしきいはんかたなし・御ものいみ二日と
たばかりたまへれば・こゝろのどかなるまゝに・
かたみに哀とのみふかくおぼしまさる・右近
はよろづにれいのいひまぎらはして・御ぞな
どたてまつりたり・けふはみだれたるかみす
こしけづらせて・こきゝぬに紅梅のをり物
など・あはひおかしくきかへてゐ給へり・侍従も
あやしきしびらきたりしを・あざやき
たれはそのもをとり給て・君にきせ給て・
御てうづまいらせ給・姫宮にこれをたて
まつりたらば・いみじきものにし給てんかし・
510410 
いとやんごとなきゝはの人おほかれど・かばかり
のさましたるはかたくやとみ給・かたはなるまで
遊びたはふれつゝくらし給・しのびてゐてかく
してんことを返々の給ふ・そのほどかの人に
みえたらばと・いみじきこと共をちかはせ給
へば・いとわりなきことゝ思て・いらへもやらず
涙さへおつる気色・更にめのまへにだにおもひ
うつらぬなめりと・むねいたうおぼさる・「恨
てもなきてもよろづの給あかして・夜ふ
かくゐてかへり給・例のいだき給ふ・いみじく
おぼすめる人はかうはよもあらじよ・みしり
給たりやとのたまへば・げにと思ひて・うなづ
510411 
きてゐたる・いとらうたげなり・右近つま
戸はなちていれたてまつる・やがて是より
別て出給も・あかずいみじとおぼさる・かやう
のかへさは・猶二条院にそおはします・いと
なやましうし給て・ものなどもたえてきこ
しめさず・日をへてあをみやせ給御けしき
かはるを・うちにもいづくにもおもほしなげ
くに・いとゞものさはかしくて・御文だにこ
まかにはえかき給はず・かしこにも・かのさか
しきめのと・娘の子うむ所に出たりける・かへ
りきにければ・心やすくもえみず・かくあや
しきすまゐを・たゞかの殿のもてなし給
510420 
はんさまを・ゆかしくまつことにて・母君も思
なくさめたるに・しのびたるさまながらも・
ちかくわたしてんことをおぼしなりにけれ
ば・いとめやすくうれしかるべき事に思てや
う/\人もとめ・わらはのめやすきなど
むかへてをこせ給ふ・我こゝろにもそれこそはある
べきことにはじめより待わたれとは思なが
ら・あながちなる人の御ことを思ひ出るに・
恨み給しさま・の給しこと共・面かげに
とそひて・いさゝかまとろめば・夢にみえ給
つゝ・いとうたてあるまておほゆ・あめふりや
まで・日比おほくなる比・いとゞ山ちおぼした
510421 
えて・わりなくおぼされければ・「おやのかう
こは所せき物にこそとおぼすもかたじ
けなし・つきせぬことゞもかき給て
__ながめやるそなたの雲もみえぬまで空
さへくるゝころのわびしさ・筆にまかせてか
きみだり給へるしも・み所あり・おかしげな
り・ことにいとをもくなどはあらぬわかき
心ちに・いとかゝる心を思ひもまさりぬべ
けれど・はじめよりちぎり給しさまも・さ
すがにかれは猶いと物ふかう・ひとがらのめ
てたきなども・世中をしりにしはじめな
ればにや・かゝるうきこと聞つけて・思うとみ
510430 
給なん世には・いかでかあらん・いつしかと思ひ
まどふ・おやにも思はずに・こゝろづきなしと
こそはもてわづらはれめ・かく心いられし
給ふ人はた・あだなる御心の本上とのみきゝ
しかば・かゝる程こそあらめ・またかうながら
も京にかくしすへたまひ・ながらへても
おぼしかずまへんにつけては・かのうへのおぼさ
んこと・よろづかくれなき世なりければ・あや
しかりし夕ぐれのしるべばかりにだに・かう
尋出給めり・まして我ありさまのともかく
もあらんを・きゝ給はぬやうはありなんや
と思ひたどるに・我心もきずありて・彼人
510431 
にうとまれたてまつらん・なをいみじかるべ
しと思ひみだるゝおりしも・かの殿より御
使あり・これかれとみるもいとうたてあれば・
なをことおほかりつるをみつゝふし給へれば
侍従右近みあはせて・なをうつりにけり
と・いはぬやうにていふ・ことはりぞかし・殿
の御かたちを・たぐひおはしまさじとみし
かど・この御有さまはいみじかりけり・うち
みたれ給へるあい行よ・丸ならば・かばかりの
御おもひをみる/\・えかくてあらじ・きさい
の宮にもまいりて・つねにみたてまつり
てんといふ・右近うしろめたの御心のほどや・
510440 
殿の御ありさまに・まさり給人は・たれかはあ
らん・かたちなどはしらず・御こゝろばへけは
ひなどよ・なをこの御ことは・いとみぐるしき
わざかな・いかゝならせ給はんとすらんと・ふ
たりしてかたらふ・心ひとつにおもひしよ
りは・空ごともたより出きにけり・後の御
ふみには・思ながら日比になること・時々は
それよりも・おどろかい給はんこそ・思ふさま
ならめ・をろかなるにやはなど・はしがきに
__水まさるをちの里びといかならんはれ
ぬなかめにかきくらすころ・つねよりも・思
ひやりきこゆることまさりてなんと・しろ
510441 
きしきしにて・たてぶみなり・御てもこまかに
おかしげならねど・かきざまゆへ/\しくみゆ・
宮はいとおほかるを・ちいさくむすびなし給
へる・さま%\おかし・まつかれを人みぬほどに
ときこゆ・けふはえきこゆまじと・はぢら
ひて・手ならひに
__里の名をわが身にしればやましろのうぢの
わたりぞいとゞすみうき・宮のかき給へりしゑ
を・時々みてなかれけり・ながらへてあるまじ
きことぞと・とさまかうざまに思ひなせど・
ほかにたえこもりてやみなんは・いと哀に
おぼゆべし
510450 
__かきくらしはれせぬ峰のあま雲にうき
て世をふる身をもなさばや・「まじりなばと
聞えたるを・みやはよゝとなかれ給ふ・さりとも
恋しと思ふらんかしと覚しやるにも・もの思ひ
てゐたらんさまのみ・おもかげにみえ給ふ・
まめ人はのどかに見給つゝ・哀いかになが
むらんと思ひやりて・いと恋し
__つれ%\と身をしる雨のをやまねば
そでさへいとゞみかさまさりて・とあるを・うちも
をかず見給ふ・女宮に物語などきこえ給
てのついでに・なめしともやおぼさんとつゝま
しながら・さすかにとしへぬる人の侍るを・
510451 
あやしき所にすてをきて・いみじく物思ふ
なるが心ぐるしさに・ちかうよびよせてと
思侍る・むかしよりことやうなる心ばへ侍し
身にて世中をすべて例のひとならでみ
すぐしてんと思侍しを・かくみたてまつるに
つけて・ひたふるにもすてがたければ・ありと人
にもしらせざりし人のうへさへ・心ぐるしう
つみえぬべきこゝちしてなど・きこえ給へば・
いかなることに心をく物ともしらぬをと
いらへ給・うちになど・あしざまにきこしめ
さするひとや侍らんと・世の人の物いひぞ・いと
あぢきなくけしからず侍るや・されどそれ
510460 
はさばかりのかずにたに侍るまじなど聞え
給ふ・つくりたる所にわたしてんとおぼし
たつに・かゝるれうなりけりなど・花やかに
いひなす人やあらんなどくるしければ・いと
忍てさうじはらすべきことなど・人しも
こそあれ・この内記がしる人のおや・大蔵の大夫
なるものに・むつましく心やすきまゝに・の
給つけたりければ・きゝつぎて・みやにはかく
れなくきこえけり・絵師どもなども・御随身
どもの中にある・むつましきとのびとなど
をえりて・さすがにわざとなんせさせ給と
申すに・いとゞおぼしさはぎて・わが御めのと
510461 
の・とをきずらうのめにてくだる家・下つかた
にあるを・いとしのひたる人しばしかくいたら
んと・かたらひ給ければ・いかなる人にかはとお
もへど・大事とおぼしたるに・かたじけなけれ
ば・さらばときこえけり・これをまうけ給て・す
こし御こゝろのどめ給ふ・この月のつごもりがた
にくだるべければ・やがてその日わたさんとお
ぼしかまふ・かくなんと思ふ・ゆめ/\といひや
り給つゝ・おはしまさんことはいとわりなく
あるうちに・こゝにも・めのといとさかしけ
れば・かたかるべきよしをきこゆ・大将殿は卯
月の十日となんさだめ給へりける・「さそふ水あ
510470 
らばとは思はず・いとあやしくいかにしなすべ
き身にかあらんと・うきたるこゝちのみすれば・
母の御もとにしばしわたりて・思めぐらすほど
あらんとおぼせど・少将のめ・子うむべき程ちか
くなりぬとて・ず法ど経などひまなくさ
はげば・石山にもえ出たつまじ・はゝぞこち
わたり給へる・めのと出きて・殿より人々
のさうぞくなども・こまかに覚しやりて
なん・いかできよげに・なにごともと思給れ
ど・まゝがこゝろひとつには・あやしくのみぞ
し出侍らんかしなど・いひさはぐが心ちよげ
なるをみ給ふにも・きみはけしからぬことゞ
510471 
もの出きて・ひとわらへならば・たれも/\
いかに思はん・あやにくにの給人はた・「やへたつ
山にこもる共・かならずたづねて・我も人も
いたづらになりぬべし・なを心やすくかくれ
なんことを思へと・けふもの給へるを・いかにせんと
心ちあしくてふし給へり・などかかくれいな
らず・いたくあをみやせ給へるとおどろき給・
日比あやしくのみなん・はかなきものもきこ
しめさず・なやましげにせさせ給ふといへば・
あやしきことかな・物のけなどにやあらんと・
いかなる御こゝちぞと思へど・石山もとまり
給にきかしといふも・かたはらいたければふし
510480 
めなり・くれていと月あかし・有明の空を思
ひ出る・涙のいととゞめがたきは・いとけしか
らぬ心かなとおもふ・母君むかし物語などし
て・あなたのあま君よびいでゝ・こひめ君の
御ありさま・こゝろふかくおはして・さるべきこ
ともおぼしいれたりし程に・めにみす/\
きえいり給にしことなどかたる・おはしまさ
ましかば・宮のうへなどのやうに・きこえかよひ
給て・こゝろぼそかりし御有さまどもの・いと
こよなき御さいはいにぞ侍らましかしとい
ふにも・我娘はこと人かは・おもふやうなるす
くせのおはしはてば・をとらじをなど思ひ
510481 
つゞけて・世とゝもにこの君につけては・ものを
のみ思みだれしけしきの・すこしうちゆる
びて・かくわたり給ひぬべかめれば・こゝにま
いりくること・かならずしも・ことさらには云
思たち侍らじ・かゝるたいめんのおり/\に・む
かしのこともこゝろのどかに・きこえうけたま
はらまほしけれどもなどかたらふ・ゆゝし
き身とのみ思給へ・しみにしかば・こまやかに
みえたてまつり聞えさせんも・何かはとつゝ
ましくてすぐし侍つるを・うちすてゝわた
らせ給なば・いとこゝろぼそくなん侍べけれ
ど・かゝる御すまゐは・こゝろもとなくのみ見
510490 
たてまつるを・うれしくも侍べかめるかな・よに
しらず・をも/\しく・おはしますべかめる
殿の御ありさまにて・かく尋きこえさせ給
しも・おぼろけならじときこえをき侍に
し・うきたることにやは侍るなどいふ・後は
しらねど・たゞいまはかくおぼしはなれぬさ
まにの給につけても・たゞ御しるべをなん
思出聞ゆる・宮のうへのかたじけなく・あはれ
におぼしたりしも・つゝましきことなどのを
のづから侍しかば・なか空にところせき御身
なりと・思なげき侍てといふ・尼君打わら
ひて・此宮のいとさはがしきまで・色におはし
510491 
ますなれば・心ばせあらんわかき人・さふらひ
にくげになん・おほかたはいとめでたき御
有さまなれど・さるすぢのことにて・うへ
のなめしとおぼさんなむわりなきと・た
いふがむすめのかたり侍しといふにも・さりや・
ましてと君は聞ふし給へり・あなむくつけ
や・みかどの御娘をもちたてまつりたまへ
るひとなれど・よそ/\にてあしくもよく
もあらんはいかゞはせんと・おほけなく思なし
侍・よからぬことをひき出給へらましかば・す
べて身にはかなしくいみじと思きこゆと
も・またみたてまつらざらましなど・いひか
510500 
はすことゞもに・いとゞこゝろぎもゝつぶれぬ・
なをわが身をうしなひてばや・つゐにきゝに
くきことは出きなんと思つゞくるに・この水の
をとのおそろしげにひゞきてゆくを・
かゝらぬながれもありかし・よにゝずあら
ましき所に・年月をすぐし給を・哀とおぼし
ぬべきわざになんなど・母君したりがほにい
ひゐたり・むかしより此河のはやくおそろし
きことをいひて・さいつころわたし守がむま
ごのわらは・さほさしはづしておち入侍にける・
すべていたづらになる人おほかる水に侍
510501 
りと人々もいひあへり・きみはさても我
身ゆくゑもしらずなりなば・たれも/\
あへなくいみじと・しばしこそ思給はめ・なが
らへて人わらへにうきこともあらんは・いつか
そのもの思のたえんとすると思かくるには・
さはり所もあるまじう・さはやかによろづ思
なさるれど・うちかへしいとかなし・おやのよ
ろづに思ひいふありさまを・ねたるやうにて
つく%\と思ひみだる・なやましげにてやせ給
へるを・めのとにもいひて・さるべき御祈りな
510510 
とせさせ給へ・まつりはらへなどもすべきやうなどいふ・
「みたらし河に・みそぎせまほしげなるを・かくもしらで
万にいひさはぐ・ひとずくなゝめり・よくさるべからんあたりを
たづねて・今まいりはとゞめたまへ・やむごとな
き御なからひは・さうじみこそなにごともお
いらかにおぼさめ・よからぬ中となりぬる
あたりは・わづらはしきこともありぬべし・
かいひそめてさるこゝろし給へなど・思ひい
たらぬことなくいひをきて・かしこにわづ
らひ侍人も・おぼつかなしとてかへるを・い
と物おもはしくよろづこゝろぼそければ・
またあひみでもこそと思へば・心ちのあ
510511 
しく侍るにも・みたてまつらぬがいとおぼ
つかなくおぼえ侍るを・しばしもまいりこま
ほしくこそとしたふ・さなん思侍れど・かし
こもいと物さはがしく侍り・この人々もは
かなきことなどえしやるまじく・せばくなど
侍ればなん・「たけふのこうにうつろひ給ふと
も・しのびてはまいりきなんを・なを/\しき
身のほどは・かゝる御ためこそいとおしく
侍れなど・打なきつゝの給・殿の御ふみはけふ
もあり・なやましときこえたりしを・いかゞと
とふらひ給へり・みづからと思侍るを・わりな
きさはりおほくてなん・このほどのくらしがた
510520 
さこそ・中々くるしなどあり・宮は昨日の御
かへりもなかりしを・いかにおぼしたゞよふぞ・
「かぜのなびかんかたもうしろめたくなん・いとゞ
ほれまさりてながめ侍るなど・これはおほく
かき給へり・雨ふりし日・きあひたりし御使
どもぞ・けふもきたりける・殿の御随身・かの
少輔が家にて・時々みるをのこなれば・まう
とはなにしにこゝにはたび/\まいるぞと
とふ・わたくしにとふらふべき人のもとに・ま
うでくるなりといふ・わたくしの人にや・えん
なるふみはさしとらする・けしきあるま
うとかな・ものがくしはなぞといふまことは
510521 
此かうの君の御文・女房にたてまつり給
ふといへば・ことたがひつゝあやしと思へど・
こゝにてさだめいはんも・ことやうなるべけ
れば・をの/\まいりぬ・かど/\しきものに
て・ともにあるわらはを・このをのこにさり
げなくてめつけよ・左衛門のたいふの家にや
いるとみせければ・みやにまいりて・式部の
少輔になん御文はとらせはべりつるといふ・
さまでたづねんものとも・をとりの下すは思
はず・ことの心をもふかうしらざりければ・
とねりの人にみあらはされにけんぞくちお
しきや・殿にまいりて・いま出給はんとするほ
510530 
どに・御文たてまつらす・なをしにて・六条院に・
后の宮出させ給へるころなれば・まいり給なり
けり・こと%\しく御前などもあまたもな
し・御ふみまいらする人に・あやしきことの
侍つる・み給へさだめんとて・今までさふらひ
つるといふを・ほのきゝ給てあゆみ出給まゝに・
なにごとぞととひ給・この人のきかんもつゝま
しと思て・かしこまりてをる・殿もしかみし
り給て出給ぬ・宮れいならずなやましげに・
おはすとて・宮たちもみな参り給へり・上達部
などおほくまいりつどひて・さはがしけれど・こ
となることもおはしまさず・彼内記はじやう
510531 
ぐはんなれば・をくれてぞ参れる・此御ふみも
たてまつるを・宮大はん所におはしまして・戸口に
めしよせてとり給を・大将御前のかたより
出給そばめにみとをし給て・せちにおぼす
べかめる文の気色かなとおかしさに・立とゞ
まり給へり・ひきあけてみ給ふ・くれなゐの
うすやうに・こまやかにかきたるべしとみ
ゆ・ふみに心いれてとみにもむき給はぬに・
おとゞもたちて・とざまにおはすれば・この
君はざうし/さうじより出給とて・おとゞいで給と
うちしはぶきて・おどろかいたてまつり給・
ひきかくし給へるにぞ・おとゞさしのぞき給
510540 
へる・おどろきて御ひもさし給・殿もついゐ給
て・まかて侍ぬべし・れいの御じやけの久し
くおこらせたまはさりつるを・おそろしき
わざなりや・やまの座主たゞいまさうじに
つかはさんと・いそがしげにて立給ぬ・夜ふけ
てみな出給ぬ・おとゞはみやをさきにたて奉
り給て・あまたの御子どもの上達部君だち
引つゞけて・あなたにわたり給ぬ・この殿は
をくれて出給ふ・ずいじん気色ばみつる・あ
やしとおぼしければ・ごぜんなどおりて・火と
もすほどに・ずいじんめしよす・申つること
はなに事ぞととひ給・けさかのうぢに・出
510541 
雲のごんのかみ・時方の朝臣のもとに侍るをの
この・むらさきのうすやうにて・桜につけた
る文を・にしのつま戸によりて・女房にとら
せ侍りつる・み給へつけて・しか/\とひ侍つれば・
ことたがひつゝ・空ごとのやうに申侍つるを・い
かに申すぞとて・わらはべしてみせ侍つれば・
兵部卿の宮にまいり侍て・式部少輔みちざた
の朝臣になん・その返事はとらせ侍けると
申す・君あやしと覚してその返事はい
かやうにしていだしつるぞ・それはみ給へず・
ことかたよりいだし侍にける・下人の申侍つる
は・あかきしきしの・いときよらなるとなん
510550 
申侍つるときこゆ・おぼしあはするに・たがふこ
となし・さまでみせつらんを・かど/\しと
おぼせど・人々ちかけれは・くはしくもの給は
ず・みちすがら・猶いとおそろしくくまなく
おはする宮なりや・いかなりけんついでに・さる
ひとありときゝたまひけん・いかでいひより
給けん・ゐ中びたるあたりにて・かやうのす
ぢのまぎれは・えしもあらじと思けるこそ
おさなけれ・さてもしらぬあたりにこそ・さ
るすきごとをもの給はめ・むかしよりへだ
てなくて・あやしきまでしるべし・ゐてあ
りきたてまつりし身にしも・うしろめたく
510551 
おぼしよるべしやと思ふに・いと心づきなし・
たいの御かたの御ことを・いみじく思つゝ・とし
ごろすぐすは・わがこゝろのをもさはこよな
かりけり・さるはそれはいまはじめて・さまあし
かるべきほどにもあらず・もとよりのたよ
りにもよれるを・たゞ心のうちのくまあら
んは・わがためもくるしかるべきによりこそ・
おもひはゞかるもをこなるわざなりけれ・
此比かくなやましくし給て・例よりも人しげ
きまぎれに・いかではる%\とかきやり給つ
らん・おはしやそめにけん・いとはるかなるけさ
うのみちなりや・あやしくて・おはし所たづ
510560 
ねられ給ふ日もありと聞えきかし・さやう
のことにおぼしみだれて・そこはかとなくな
やみ給なるべし・むかしをおぼし出るにも・えお
はせざりしほどのなげきは・いと/\おしげ
なりきかしと・つく/\とおもふに・女のいたく
物おもひたるさまなりしも・かたはし心えそ
め給ては・よろづおぼしあはするにいとうし・
有がたき物は人の心にもあるかな・らうた
げにおほとかなりとはみえながら・いろめ
きたるかたはそひたる人ぞかし・このみやの御
510561 
ぐにては・いとよきあはひなりと・おもひもゆ
づりつべくのく心ちし給へど・やむごとなく
思そめし人ならばこそあらめなをさるもの
にてをきたらん・いまはとてみざらんはた・
恋しかるべしと・人わろく色々心のうちにおぼ
す・われすさまじく思なりて・すてをきた
らば・かならずかの宮よびとり給てん・人のため
後のいとおしさをも・ことにたどり給まじ・さや
うにおぼす人こそ・一品の宮の御かたに人二三
人まいらせ給たなれ・さて出たちたらんをみ
きかん・いとおしくなど・なをすてがたく・け
しきみまほしくて・御ふみつかはす・例の御
510570 
随身めして・御身づから人まにめしよせたり・
みちさだのあそんは・猶なかのぶが家にやかよ
ふ・さなん侍ると申す・うぢへはつねにや・このあ
りけんをのこはやるらん・かすかにてゐたる人
なれば・道定もおもひかくらんかしと・うちうめ
き給て・ひとにみえでをまかれ・をこなりとの
給・かしこまりて・せうがつねにこの殿の御こと
あないし・かしこの事とひしも思あはすれ
ど・物なれてえ申出ず・きみも下すにくは
しくはしらせじとおぼせば・とはせ給はず・
かしこには・御使の例よりしげきにつけて
も・ものおもふことさま%\なり・たゞかくぞ
510571 
の給へる
__「なみこゆるころともしらず末の松まつ
らんとのみ思ひけるかな・人にわらはせ給なと
あるを・いとあやしと思ふに・むねもふたがり
ぬ・御かへりことを心えがほにきこえんも・いと
つゝましく・ひがことにてあらんもあやし
ければ・御ふみはもとのやうにして・所たがへの
やうにみえ侍ればなん・あやしくなやましく
て・なにごともとかきそへてたてまつりつ・
み給てさすがにいたくもしたるかな・かけて
みをよばぬ心はへよと・ほゝゑまれ給も・にく
しとはえおぼしはてぬなめり・まほならね
510580 
どほのめかし給へるけしきを・かしこにはいと
ど思ひそふ・つゐに我身はけしからず・あやし
くなりぬべきなめりといとゞ思ふところ
に・右近きて・とのゝ御ふみは・などて返し
たてまつらせ給つるぞ・ゆゝしくいみ侍るな
る物をといへば・ひがことのあるやうに見え
つれは・所たがへかとてとの給・あやしとみければ・
みちにてあけてみける成けり・よからずの
うこんがさまやな・みつとはいはであないと
おし・くるしき御事共にこそ侍れ・殿は物の
気色御らんじたるべしといふに・おもてざと
あかみて物もの給はず文みつらんとは思
510581 
はねば・ことざまにてかの御けしきみる人
の・かたりたるにこそはとおもふに・たれかさ
いふぞなどもとひ給はず・この人々の・見思
ふらんこともいみじくはづかし・我こゝろも
て有そめしことならねども・心うきす
くせかなと・思いりてねたるに・侍従とふた
りして・右近があねの・ひたちにて・ひとふた
りみ侍しを・ほど/\につけては・たゞかくぞ
かし・これもをとらぬこゝろざしにて・おもひ
まどひて侍しほどに・女は今のかたにいます
こし心よせまさりてぞ侍ける・それにねたみ
て・つゐにいまのをばころしてしぞかし・さて
510590 
我もすみ侍らずなりにき・国にもいみじき
あたらつはもの独うしなひつ・また此あや
まちしたるも・よきらうどうなれど・かゝる
あやまちしたるものを・いかでかつかはん
とて・国のうちをもをひはらはれぬ・すべて女
のたい%\しきぞとて・たちのうちにもをい
給へらざりしかば・あづまの人になりて・ま
まもいまに恋なき侍るは・つみふかくこそ
み給れ・ゆゝしきついでのやうに侍れど・上
も下も・かゝるすぢのことは・おぼしみだるゝ
は・いとあしきわざなり・御命までには
あらずとも・人の御ほど/\につけて侍ること
510591 
なり・しぬるにまさるはぢなることも・よき
人の御身には・なか/\侍なり一かたにおぼし
さだめてよ・宮も御こゝろざしまさりてま
めやかにだに聞えさせ給はゞ・そなたざま
にもなびかせ給て・ものないたくなげかせ給
そ・やせおとろへさせ給もいとやくなし・さば
かりうへの思ひいたづき聞えさせ給物を・ま
まがこの御いそぎにこゝろをいれて・まど
ひゐて侍につけても・それよりこなたに
と聞えさせ給ふ御事こそ・いとゞくるしく
いとおしけれといふに・いまひとりうたておそ
ろしきまでな聞えさせ給そ・なにごとも
510600 
御すくせにてこそあらめ・たゞ御心のうちに・
すこしおぼしなびかんかたを・さるべきにおぼ
しならせ給へ・いでやいとかたじけなく・いみ
じき御気色なりしかは・人のかくおぼしいそ
ぐめりしかたに・心もよらず・しばしはかく
ろへても・御思ひのまさらせ給はんに・よらせ給
ひねとぞ・思ひ侍ると・宮をいみじくめでき
こゆるこゝろなれば・ひたみちにいふ・いさや右
近は・とてもかくても・ことなくすぐさせ給へ
と・はつせ石山などに願をなんたて侍る・この
大将殿の御さうの人々といふものは・いみじ
きぶたうのものどもにて・ひとるい此里に
510601 
みちて侍るなり・大かたこの山しろやまと
に・殿の領じ給所々の人なん・みなこのうど
ねりといふものゝゆかりかけつゝ侍なる・そ
れがむこの・右近の大夫といふものを・もとゝ
して・よろづのことををきておほせられ
たなるなり・よきひとの御なかどちは・情
なきことし出よとおぼさずとも・ものゝ
心えぬゐ中人どもの殿ゐ人にて・かはり
%\さふらへば・をのがばんにあたりて・いさゝか
なることもあらせじなど・あやまちもし
侍なん・ありしよの御ありきは・いとこそ
むくつけく思給へられしが・宮はわりなく
510610 
つゝませ給とて・御ともの人もゐておはしま
さず・やつれてのみおはしますを・さるものゝみ
つけたてまつりたらんは・いといみじくなん
といひつゞくるを・君なを我を宮にこゝろ
よせ奉りたると思て・此人々のいふ・いとはづ
かしく・こゝちにはいづれとも思はず・たゞ夢
のやうにあきれて・いみじくいられ給をば・な
どかくしもとばかり思へど・たのみきこえて・
年ごろになりぬる人を・今はともてはな
れんと思はぬによりこそ・かくいみじとも
のも思みだるれ・げによからぬことも出きた
らん時と・つく%\と思ゐたり・丸はいかで
510611 
しなばや・よづかずこゝろうかりける身かな・
かくうきことあるためしは・下すなどの中に
だにも・おほくやはあなるとて・うつぶしふし
給へば・かくなおぼしめしそ・やすらかにおぼしな
せとてこそきこえさせ侍れ・覚しぬべきこ
とをも・さらぬがほにのみ・のどかにみえさせ
給へるを・この御ことの後・いみじく心いられ
をせさせ給へば・いとあやしくなんみたてま
つると・心しりたるかぎりは・みなかく思みだ
れさはぐに・めのとをのが心をやりて・もの
そめいとなみゐたり・いま参りわらはなど
の・めやすきをよびとりつゝ・かゝるひと御らん
510620 
ぜよ・あやしくてのみふさせ給へるは・ものゝ
けなどの・さまたげ聞えさせんとするにこそ
となげく・殿よりは・かのありし返事をだに
の給はで日比へぬ・此をどしゝ・うどねりと
いふものぞきたる・げにいとあら/\しく・ふ
つゝかなるさましたるおきなのこゑかれ・さす
がにけしきある・女房にものとり申さんとい
はせたれば・右近しもあひたり・殿にめし侍
しかば・けさ参り侍て・たゞ今なんまかりかへ
り侍つる・雑事どもおほせられつるついで
に・かくておはしますほどに・夜中あかつ
きのことにも・なにがしらかくてさふらふ
510621 
とおもほして・殿ゐ人わざとさしたてまつ
らせ給こともなきを・此ごろきこしめせば・
女房の御もとに・しらぬ所の人・かよふやうに
なん・きこしめすことある・たい/\しきこと
なり・殿ゐにさふらふ物どもは・そのあないと
ひきゝたらん・しらではいかゞさふらふべき
とゝはせ給へるに・うけたまはらぬことなれ
ば・なにがしはみのやまひをもく侍りて・殿ゐ
つかうまつることは・月ごろをこたりて侍れば・
あないもえしり侍らず・さるべきをのこど
もは・けだいなくもよほしさふらはせ侍る
を・さのごとき・ひじやうのことのさふらはん
510630 
をば・いかでかうけたまはらぬやうは侍らん
となん申させ侍つる・よういしてさふらへ・び
むなきこともあらば・をもくかんだうせしめ
給べきよしなん・おほせごと侍つれば・いかなる
おほせごとにかと・をそれ申侍といふを・き
くに・ふくろふのなかんよりも・いとものおそ
ろし・いらへもやらで・さりやきこえさせしに
たがはぬことゞもをきこしめせ・ものゝけしき
御らんじたるなめり・御せうそこも侍らぬよ
などなげく・めのとはほのうちきゝて・いとう
れしく仰られたり・ぬす人おほかなるわた
りに・殿ゐ人もはじめのやうにもあらず・
510631 
みな身のかはりぞといひつゝ・あやしき下すを
のみまいらすれば・夜行をだにせぬにとよ
ろこぶ・君はげにたゞいまいとあしくなりぬ
べきみなめりとおぼすに・みやよりは・いかに
いかにと「こけのみだるゝわりなさをの給・いと
わづらはしくなん・とてもかくても・ひとかた
/\につけて・いとうたてあることは出きな
ん・我身ひとつのなくなりなんのみこそ
めやすからめ・昔はけさうずる人のありさ
まの・いづれとなきに思わづらひてだにこ
そ・みをなぐるためしも有けれ・ながらへば
かならず・うきことみえぬべき身の・なくなら
510640 
むは・なにかおしかるべき・おやもしばしこそな
げき給はめ・あまたの子どもあつかひに・をの
づからわすれ草つみてん・ありながらもてそ
こなひ・人わらへなるさまにてさすらへんは・
まさる物思ひなるべしなど思ひなる・こめき
おほとかに・たを/\とみゆれど・けたかう世
510641 
の有さまをもしるかたすくなくて・おふした
てたる人にしあれば・すこしをずかるべきこと
を・思よる成けんかし・むつかしきほぐなどやり
て・おどろ/\しく一たびにもしたゝめず・
とうだいの火にやき・水になげ入させなど・や
う/\うしなふ・こゝろしらぬごだちは・物へわ
たり給ふべければ・つれ%\なる月日をへて・は
かなくしあつめ給へるてならひなどを・や
り給なめりとおもふ・侍従などぞみつくる
時は・なとかくはせさせ給・哀なる御中に・
御心とゞめてかきかはし給へる文は・人にこ
そみせさせ給はざらめ・物のそこにをかせ
510650 
給て御らんずるなん・ほど/\につけては・いと
あはれに侍る・さばかりめでたき御かみつか
ひ・かたじけなき御言の葉をつくさせ給へる
を・かくのみやらせ給・なさけなきことゝいふ・
なにかむつかしく・ながゝるまじき身にこ
そあめれ・おちとゞまりて・人の御ためも
いとおしからん・さかしらにこれをとりをき
けんよなど・もりきゝ給はんこそはづかしけ
れなどの給・心ぼそきことを思もて行には・
まだえ思たつまじきわざなりけり・おやを
をきてなくなる人は・いとつみふかくなる
ものをなど・さすがにほのきゝたることを
510651 
も思ふ・廿日あまりにもなりぬ・彼家ある
じ・廿八日にくだるべし・みやは・その夜かなら
ずむかへん・しも人などに・よくけしきみゆま
じき心づかひし給へ・こなたざまよりは・夢に
もきこえあるまじ・うたがひ給なゝどの給・さ
てあるまじきさまにて・おはしたらんに・いま一
たび物をも聞えず・おぼつかなくて返し奉
らんことよ・又時のまにても・いかでこゝには
よせ奉らんとする・かひなく恨てかへり給
はんさまなどを思やるに・例のおもかげはなれ
ず・たえずかなしくて・此御文をかほにをし
あてゝ・しばしはつゝめ共・いといみじくなき給・
510660 
右近あが君・かゝる御気色つゐに人みたてま
つりつべし・やう/\あやしなとおもふ人も侍
べかめり・かうかゝづらひおもほさで・さるへきさ
まに聞えさせ給てよ・右近侍らば・おほけな
きことも・たばかりいだし侍らば・かばかり
ちいさき御身ひとつは・空よりもゐてたて
まつらせ給なんといふ・とばかりためらひて・
かくのみいふこそいとこゝろうけれ・さも有ぬべ
きことゝ・思かけばこそあらめ・あるまじき
ことゝみな思とるに・わりなく・かくのみ・たの
みたるやうにの給へば・いかなることをし出給は
むとするにかなどおもふにつけて・身のいとこゝ
510661 
ろうきなりとて・返事も聞え給はずなり
ぬ・みやかくのみなをうけひくけしきもなく
て・返事さへたえ%\になるは・かの人のあるべ
きさまにいひしたゝめて・すこし心やすかる
べきかたに・思ひさだまりぬるなめり・ことは
りとおぼす物からいと口おしくねたく・さり
共我をば哀と思たりし物を・あひみぬとだえ
に・人々のいひしらするかたによるならん
かしなど・ながめ給に「行かたしらす・むなし
き空にみちぬる心ちし給へば・例のいみじ
くおぼしたちて・おはしましぬ・あしがきのかた
510670 
をみるに・例ならず・あれはたそといふ声々
いざとげなり・たちのきて・心しりのをの
こをいれたれば・それをさへとふ・さき%\のけ
はひにもにず・わづらはしくて・京よりと
みの御ふみあるなりといふ・右近がずさの名
をよびてあひたり・いとわづらはしくいと
どおぼゆ・さらにこよひはふようなり・いみじ
くかたじけなきことゝいはせたり・宮など
かくもてはなるらんとおぼすに・わりなく
て・まづ時方いりて・侍従にあひて・さるべき
さまにたばかれとてつかはす・かど/\しき
ひとにて・とかくいひかまへて・尋てあひたり・
510671 
いかなるにかあらん・彼殿のの給はすること
ありとて・殿ゐにある物共の・さかしがりだ
ちたるころにて・いとわりなきなり・おま
へにも物をのみいみじく覚しためるは・かゝる
御ことのかたじけなきを覚しみだるゝにこ
そはと・心ぐるしくなんみたてまつる・さら
にこよひは人げしきみ侍なば・中/\にいと
あしかりなん・やがてさも御心づかひせさせ
給べからんよ・こゝにも人しれず思かまへて
なん聞えさすべかめる・めのとのいざときこ
となどもかたる・たいふおはしますみちのおぼ
ろけならず・あながちなる御けしきに・あへ
510680 
なくきこえさせんことなん・たい%\しき・さら
ばいざ給へ・ともにくはしくきこえさせたま
へといざなふ・いとわりなからんといひしろ
ふほどに・夜もいたく更行・宮は御馬にて
すこしとをく立給へるに・里びたる犬共の
出きてのゝしるも・いとおそろしく・人ずく
なにいとあやしき御ありきなれば・すゝろ
ならん物のはしり出きたらんも・いかさま
にかと・さふらふ限心をぞまどはしける・な
をとく/\まいりなんといひさはがして・この侍
従をゐてまいる・かみわきよりかいこして・
やうだいいとおかしき人なり・馬にのせん
510681 
とすれど・さらにきかねば・きぬのすそを
とりて・立そひて行・わがくつをはかせて
みづからは・ともなる人の・あやしき物を
はきたり・まいりてかくなんときこゆれば・かたら
ひ給べきやうだになければ・やまがつのかき
ねの・をどろむぐらのかげに・あふりといふ物
をしきて・おろしたてまつる・我御心ちにも・あ
やしきありさまかな・かゝるみちにそこな
はれて・はか%\しくはえあるまじき身な
めりと・覚しつゞくるに・なき給ことかぎり
なし・心よはき人は・ましていといみじくか
なしとみたてまつる・いみじきあた・をにゝ
510690 
つくりたりとも・をろかにみすつまじき人
の御ありさまなり・ためらひ給て・たゞ一こ
ともえ聞えさすまじきか・いかなれば・いま
さらにかゝるぞと・猶人々のいひなしたる
やうあるべしとの給ふ・ありさまくはしく
聞えて・やがてさおぼしめさん日を・かねて
さべきさまにたばからせ給へ・かくかたじ
けなきことゞもを・みたてまつり侍れば・み
をすてゝも思給へたばかり侍らんと聞ゆ・
我も人めをいみじくおぼせば・一かたにう
らみ給はんやうもなし・夜はいたくふけゆ
くに・このものとがめする犬の声たえず・人々
510691 
をひさけなどするに・弓ひきならしあや
しきをのこどもの声して・火あやうしなど
いふも・いとこゝろあはたゝしければ・かへり給ふ
ほど・いへばさらなり
__いづくにか身をばすてんと「白雲のかゝらぬ山
もなく/\ぞゆく・さらばゝやとて・此人を
かへし給ふ・御けしきなまめかしく・あはれに・
夜ふかき露にしめりたる・御かのかうばしさな
ど・たとへんかたなし・なく/\ぞかへりきたる・
右近はいひきりつるよしいひゐたるに・きみ
はいよ/\おもひみだるゝことおほくて・ふし給へ
るに・いりきて・ありつるさまかたるに・いらへ
510700 
もせねど・枕のやう/\うきぬるを・かつはいかに
みるらんとつゝまし・つとめても・あやしか
らんまみを思へば・むごにふしたり・ものはかな
げにおびうちかけなどして・経よむ・おやにさ
きだちなん・つみうしなひ給へとのみ思ふ・有
しゑをとり出てみて・かき給してつき・か
ほのにほひなどの・むかひ聞えたらんやう
におぼゆれば・よへ一ことをだにきこえず
なりにしは・なをいまひとへまさりていみ
じと思ふ・かの心のどかなるさまにてみん
と・ゆくすゑとをかるべきことをの給ひわた
るひとも・いかゞおぼさんといとおしう・うき
510701 
さまにいひなす人もあらんこそ・思やりはづ
かしけれど・こゝろあさくけしからず・人わら
へならんをきかれたてまつらんよりはと・思
つゞけて
__なげきわび身をばすつともなきかげにう
き名ながさんことをこそ思へ・おやもいと恋し
く・例はことに思出ぬはらからの・みにくや
かなるも恋し・宮のうへを思出きこゆる
にも・すべていまひとたびゆかしき人おほ
かり・ひとはみなをの/\ものそめいそぎ・
なにやかやといへど・みゝにもいらず・よると
なれば人にみつけられず・いでゝゆくべきかた
510710 
を思まうけつゝ・ねられぬまゝに・こゝちも
あしくみなたがひにたり・あけたてば・川の
かたをみやりつゝ・「ひつじのあゆみよりも
程なき心ちす・宮はいみじきことゞもをの
給へり・いまさらに人やみんと思へばこの御返
事をだに・思ふまゝにもかゝず
__からをだにうき世のなかにとゞめずはいつ
こをはかと君もうらみん・とのみかきていだ
しつ・かの殿にも・いまはのけしきみせたて
まつらまほしけれど・ところ%\にかきを
きて・はなれぬ御なかなれば・ついにきゝあ
はせたまはんこといとうかるべし・すべて
510711 
いかになりけんと・たれにもおぼつかなくて
やみなんと思ひ返す・京より母の御ふみも
てきたり・ねぬる夜の夢に・いとさはがし
くて見え給つれば・ず経ところ%\にせさせ
などし侍る・やがてその夢のゝち・ねられ
ざりつるけにや・たゞ今ひるねして侍る夢
に・人のいむといふことなんみえ給つれば・お
どろきながらたてまつる・よくつゝしま
せ給へ・人ばなれたる御すまゐにて・時々た
ちよらせ給人の御ゆかりも・いとおそろし
く・なやましげに物せさせ給・おりしもゆ
めのかゝるを・よろづになん思給ふる・まいり
510720 
こまほしきを・少将のかたの・猶いと心もとな
げに・ものゝけだちてなやみ侍れば・かた時
もたちさることゝ・いみじくいはれ侍てな
ん・そのちかき寺にも・御ず経せさせ給へ
とて・其れうの物・文などかきそへてもて
きたり・かぎりと思ふ命の程をしらで・か
くいひつゞけ給へるも・いとかなしとおもふ・寺
へ人やりたるほど・返事かくいはまほしき
ことおほかれど・つゝましくてたゞ
__のちにまたあひみんことを思はなんこの
世の夢に心まどはで・ず経のかねの風につ
きてきこえくるを・つく%\ときゝふし給へり
510721 
かねのをとのたゆるひゞきにねをそへてわ
が世つきぬと君につたへよ・巻数もてきたる
に・かきつけて・こよひはえかへるまじといへば・
物の枝にゆひつけてをきつ・めのとあやし
く「心ばしりのするかな・ゆめもさはがしくと
の給はせたりつ・殿ゐ人よくさふらへといは
するを・くるしと聞ふし給へり・物きこしめさ
ぬいとあやし・御ゆづけなどよろづにいふ
を・さかしがるめれど・いとみにくゝおいなりて・
我なくはいづくにかあらんと思ひやり給ふも・
いと哀なり・世中にえありはつまじきさま
を・ほのめかしていはんなどおぼすには・まづ
510730 
おどろかされて・さきだつ涙をつゝみ給
て・物もいはれず・右近程ちかくふすとて・
かくのみ物をおもほせば・「物思ふ人のたまし
ゐは・あくがるなるものなれば・ゆめもさはが
しきならんかし・いづかたとおぼしさだま
りて・いかにも/\おはしまさなんとうち
なげく・なへたるきぬをかほにをしあて
ゝふしたまへりとなん
510731 
後表紙見返し 
後表紙 