『源氏物語湖月鈔』「蛍」

表紙

見返し

250010

(ナシ)

250011

(ナシ)

250020

今はかくをも/\しき程に・よろづのど

やかに・おぼししづめたる御有様なれはた

のみ聞えさせ給へる人々・さま%\につけ

て・みな思ふさまにさだまりたゞよは

しからで・あらまほしくてすぐし給・た

いの姫君こそいとおしく・思ひのほかな

るおもひそひて・いかにせんとおぼしみ

だるめれ・かのげんが・うかりしさまには・

なずらふべきけはひならねど・かゝる

すぢに・かけても人のおもひよりきこ

ゆべきことならねば・心ひとつにおぼし

つゝ・さまことにうとましと思ひきこ

250021

え給・なにことをも覚ししりにたる御よ

はひなれば・とざまかうざまに覚しあ

つめつゝ・母君のおはせずなりにける口お

しさも・またとりかへしおしくかなしく

おぼゆ・おとゞも・うちいでそめ給ては中々

くるしくおぼせど・人めをはゞかり給つゝ・

はかなきことをもえ聞え給はず・くる

しくもおぼさるゝまゝに・しげくわたり

給つゝ・おまへの人どをくのどやかなるお

りは・たゞならずけしきばみ聞え給・ごと

250030

に・むねつぶれつゝ・けざやかにはしたなくき

こゆべきにはあらねば・たゞみしらぬさま

にもてなしきこえ給ふ・人ざまのわらゝか

に・けぢかくものし給へば・いたくまめだち

たる心ちし給へど・なをおかしくあいぎ

やうつきたるけはひのみ見え給へば・

兵部卿の宮などは・まめやかにせめきこ

え給・御らうの程はいくばくならぬに・

「五月雨になりぬるうれへをし給て・すこ

しけぢかき程をだにゆるし給はゞ・思ふ

ことをも・かたはしはるけてしがなと・きこ

え給へるを・殿御らんじて・なにかは此君達

250031

のすき給はんは・み所ありなんかし・もてはな

れてなきこえ給そとをしへて・御かへり

時々聞え給へとて・御かへりをしへてかゝ

せ奉り給へど・いとうたて覚え給へば・

みだり心ちあしとて聞え給はず・人々

もことにやむごとなく・よせをもきな

ども・おさ/\なし・たゞはゝ君の御おぢ

なりける・宰相ばかりの人のむすめ

にて・心ばせなど口おしからぬが・世にお

とろへ残りたるを・尋とり給へるぞ・宰相の

君とて・手などもよろしくかき・おほかた

もおとなびたる人なれば・さるべきおり/\

250040

の御返りなとかゝせたまへば・めし出てこと

葉などの給てかゝせ給ふ・物などのたまふ

さまを・ゆかしとおぼすなるべし・さうじ

みは・かくうたてある物なげかしさの後は・

この宮などは哀げにきこえ給時は・す

こしみいれ給ふ時もありけり・なにかと

おもふにはあらず・かく心うき御気色み

ぬわざもがなと・さすがにざれたる所つ

きておぼしけり・殿はあいなくをのれこゝ

ろげさうして・宮を待聞え給も・しり

給はで・よろしき御かへりなるを・めづ

らしがりて・いとしのびやかにておはしま

250041

したり・つまどのまに御しとね参らせ

て・み木丁ばかりを隔にて・ちかき程なり・

いといたう心して・空だき物心にくき

程ににほはして・つくろひおはするさま・お

やにはあらで・むつかしき御さかしら

人の・さすがに哀にみえ給ふ・宰相の君

なども・人のいらへ聞えんこともおぼえ

ず・はづかしくてゐたるを・むもれたり

とひきつみ給へば・いとわりなし・夕やみ

250050

過て・おぼつかなき空の気色のくもら

はしきに・打しめりたる宮の御けはひも・

いとえんなり・うちよりほのめく追風

も・いとゞしき御匂ひの立そひたれば・いと

ふかくかほりみちて・かねておぼししより

もおかしき御けはひを・心とゞめ給けり・

うち出て・思ふ心のほどをの給ひつゞけ

たる言の葉・おとな/\しく・ひたふるに・

すき%\しくはあらで・いとけはひこと

なり・おとゞいとおかしとほのきゝおはす・

姫君は東おもてにひきいりて・おほと

のごもりにけるを・宰相の君の御せうそ

250051

こつたへに・ゐざりいりたるにつけて・いと

あまりあつかはしき御もてなしなり・よ

ろづのことさまにしたがひてこそめやす

けれ・ひたふるにわかび給ふべきさまにも

あらず・この宮たちをさへ・さしはなちた

る人づてにきこえ給ふまじきことなり

かし・御こゑこそおしみ給ふとも・すこしけ

ちかくだにこそなど・いさめきこえ給へど・

いとわりなくて・ことつけてもはい入給ぬ

べき御心ばへなれば・とざまかうざまに

わびしければ・すべり出て・もやのきはな

る御木帳のもとに・かたはらふし給へり・

250060

なにくれと・ことながき御いらへきこえ

たまふこともなく・おぼしやすらふに・

より給て・み木丁のかたびらを・ひとへう

ちかけ給に・あはせて・ざとひかるもの・し

そくをさし出たるかとあきれたり・ほたる

をうすきかたに・此夕つかたいとおほく

つゝみをきて・ひかりをつゝみかくし給へ

りけるを・さりげなくとかくひきつくろふ

やうにて・にはかにかくけちえんにひかれ

るに・あさましくて・あふぎをさしかくし

たまへる・かたはらめいとおかしげなり・お

250061

どろおどろしきひかり見えば・宮ものぞき

給ひなん・わがむすめとおぼすばかりのお

ぼえに・かくまでの給なめり・人ざまかた

ちなど・いとかくしもぐしたらんとは・え

をしはかり給はじ・いとよくすき給ぬべ

き心まどはさんと・かまへありき給なりけ

り・まことのわがひめ君をば・かくしももて

さはぎ給はじ・うたてある御心成けり・こと

かたよりやをらすべり出て・わたり給ぬ・

250070

宮は人のおはする程・さばかりとをしは

かり給が・すこしけぢかき御けはひする

に・御心ときめきせられ給ひて・えなら

ぬうすものゝかたびらのひまより・みい

れたまへるに・ひとまばかりへだてたる

みわたしに・かくおぼえなきひかりの打ほ

のめくを・おかしとみ給ふ・程もなくまぎら

はしてかくしつ・されどほのかなるひかり・

えんなることのつまにもしつべく見ゆ・

ほのかなれど・そびやかにふし給へりつる・

やうだいのおかしかりつるを・あかずおぼし

て・げにあのごと御心にしみにけり

250071

__なく声も聞えぬ虫の思ひだに人のけ

つにはきゆる物かは・思ひしり給ぬやと

聞え給ふ・かやうの御かへしを・おもひまは

さんもねぢけたれば・ときばかりをぞ

__こゑはせでみをのみこがす蛍こそいふ

よりまさる思ひなるらめ・などはかなく

きこえなして・御身づからはひきいり給

にければ・いとはるかにもてなし給ふ

うれはしさを・いみじくうらみきこえ

たまふ・すき%\しきやうなれば・ゐたま

ひもあかさで・のきの雫もくるしさに・

ぬれ/\夜ふかく出給ひぬ・時鳥などかな

250080

らずうちなきけんかし・うるさければえ

こそきゝもとゞめね・御けはひなどのな

まめかしさは・いとよくおとゞの君に似奉

り給へりと・人々もめできこえけり・よべ

いとめおやだちて・つくろひ給ひし御け

はひを・うち/\はしらで・哀にかたじけ

なしとみないふ・姫君はかくさすがなる御け

250081

しきを・わが身づからのうさぞかし・おや

なとにしられ奉り・世の人めきたるさま

にて・かやうなる御心ばへならましかば・

などいとにげなくもあらまし・人にに

ぬ有様こそ・つゐに世がたりにやならん

と・おきふしおぼしなやむ・さるはまこと

にゆかしげなきさまには・もてなしはて

じと・おとゞはおぼしけり・猶さる御心ぐせ

なれば・中宮なども・いとうるはしくやは思

ひ聞え給へる・ことにふれつゝ・たゞならず

きえうごかしなどし給へど・やんごとな

きかたの・をよびなさにわづらはしくて・

250090

おりたちあらはしきこえ給はぬを・この君

は人の御さまもけぢかく・今めきたるに・

をのづから思ひ忍びかたきに・おり/\人見

奉りつけば・うたがひおひぬべき御もてなし

など・うちまじるわざなれど・有かたくお

ぼしかへしつゝ・さすがなる御中成けり・五日

にはむまばのおとゞに出給けるつゐで

に・わたり給へり・いかにぞや・宮は夜や

ふかし給ひし・いたくもならしきこえじ・

わづらはしきけそひ給へる人ぞや・人

の心やぶり・もののあやまちすまじき

250091

人は・かたくこそありけれなど・いけみころ

しみ・いましめおはする御さま・つきせず

わかくきよげに見え給・つやも色も

こぼるばかりなる御ぞに・うすき御なを

しはかなくかさなれるあはひも・いづこ

にくはゝれるきよらにかあらん・此世の

人の染出したるとみえず・つねの色も

かへぬあやめも・けふはめづらかに・おかしう

おぼゆる・かほりなども・思ふことなくは・お

かしかりぬべき御有様かなと・姫君は

おぼす・宮より御ふみあり・しろきうす

やうにて・御手はいとよしありてかきな

250100

し給へり・みる程こそおかしかりけれ・まね

びいづればことなることなしや

__けふさへやひく人もなきみがくれにお

ふるあやめのねのみながれん・「ためしにも

ひき出つべきねに・むすびつけ給へれば・

けふの御かへりなどそゞのかし置て出給ぬ・

これかれもなをときこゆれば・御心にもい

かゞおほしけん

__あらはれていとゞあさくもみゆるかなあや

250101

めもわかずながれけるねの・わか/\しくと

ばかり・ほのかにぞあめる・手をいます

こしゆへづけたらばと・宮はこのましき御

心に・いさゝかあかぬことゝみ給ひけんかし

くす玉などえならぬさまにて・所々より

おほかり・おぼししづみつる・年比の名残なき

御有様にて・心ゆるび給こともおほかるに・

おなじくはひとのきずつくばかりのこと

なくても・やみにしがなと・いかゞおぼさゞら

ん・殿は東の御かたにもさしのぞき給ひ

250110

て・中将のけふのつかさの手つがひのついで

に・をのこども引つれて・物すべきさまに

いひしを・さる心し給へ・まだあかき程にき

なん物ぞ・あやしく爰には・わざとならず

しのぶることをも・このみこたちのきゝ

つけて・とふらひものし給へば・をのづから

こと/\しくなんあるを・よういし給へなど

聞え給ふ・むまばのおとゞはこなたの廊よ

りみとをすほど遠からず・わかき人々・

わたどのゝ戸あけてものみよや・左のつ

かさにいとよしある官人おほかるころなり・

せう/\の殿上人にをとるまじとの給へは・

250111

物みんことをいとおかしとおもへり・たいの

御方よりも・わらはべなど物みにわたり

きて・らうの戸ぐちに・みすあをやかに

かけわたして・いまめきたるすそごの御

木帳共たてわたし・わらはしもづかへな

どさまよふ・さうぶがさねのあこめ・ふた

あいのうすものゝかざみきたるわらはべ

ぞ・西のたいのなめる・このましくなれたる

かぎり四人・しもづかへはあふちのすそご

のも・なでしこの若葉の色したるから

きぬ・けふのよそひ共なり・こなたのはこき

ひとへかさねに・なでしこがさねのかざみ

250120

など・おほとかにて・をの/\いどみがほな

るもてなしみ所あり・わかやかなる殿上

人などは・めをたてつゝけしきばむ・ひ

つじの時ばかりに・馬場のおとゞに出給て・

げにみこたちおはしつどひたり・てつ

がひの・おほやけごとにはさまかはりて・

すけたちかきつれ参りて・さまことにい

まめかしく・あそびくらしたまふ・女はな

にのあやめもしらぬことなれど・舎人

どもさへえんなるさうぞくをつくして・

身をなげたる・てまどはしなどをみるぞ

おかしかりける・南の町もとをしてはる%\

250121

とあれば・あなたにもかやうのわかき人

共はみけり・たぎうらく・らくそんなど・あ

そびて・かちまけのらんざうどものゝし

るも・よに入はてゝ・何事もみえず成

はてぬ・とねりどもの禄しな%\給はる・

いたくふけて・人々みなあがれ給ひぬ・おと

250130

ゞは・こなたに御とのごもりぬ・物がたりな

どきこえ給ひて・兵部卿のみやの・人より

はこよなくものし給ふかな・かたちなどはす

ぐれねど・ようい気色など・いとよしあり

あいぎやうづきたる君也忍びてみ給ひ

つやよしといへど・猶こそあれとの給ふ御お

とうとにこそものし給へど・ねびまさり

てぞ見えたまひける・年比かくおり過さず・

わたりむつびきこえたまふと聞はべれ

ど・むかしのうちわたりにてほのみ奉り

250131

し後おぼつかなしかし・いとよくこそかた

ちなどはねびまさり給ひにけれ・そちのみ

こよくものし給ふめれど・けはひおとりて・

おほ君の気色にぞものし給ひけるとの

給へば・ふとみしり給ひにけりとおぼせど・

ほゝゑみて・なをあるをばよしともあし共

かけ給はず・人のうへをなんつけ・おとしめざ

まのこといふ人をば・いとおしき物にし給へ

ば・右大将などをだに・心にくき人にすめる

を・なにばかりかはある・ちかきよすがにて

みんは・あかぬことにやあらんとみ給へど・

ことにあらはしてもの給はず・今はたゞお

250140

ほかたの御むつびにて・おましなどもこと

ことにておほとのごもる・などてかくは

なれそめしぞと・殿はくるしがり給ふ・大

かたなにやかやとも・そばみ聞え給は

で・年比かくおりふしにつけたる御あそび

ともを・人づてにのみきゝ給けるに・けふ

めづらしかりつることばかりをぞ・このまち

の覚え・きら/\しとおぼしたる

__そのこまもすさめぬ草と名にたてる

250141

汀のあやめけふやひきつる・とおほとかに

聞え給ふ・なにばかりのことにもあ

らねど・哀とおぼしたり

__にほどりにかげをならぶる「わかこまは

いつかあやめにひきわかるべき・あいたちな

き御ことゞもなりや・朝夕のへだてある

やうなれど・かくて見奉るはこゝろやす

くこそあれと・たはふれごとなれど・の

どやかにおはする人ざまなれば・しづまり

て聞えなし給ふ・ゆかをばゆつり聞え給て・

御木帳引へだてゝおほとのごもる・けぢか

くなどあらんすぢをば・いとにげなかるへ

250150

きことに・おもひはなれきこえ給べれば・

あながちにもきこえ給はず・なが雨例の

年よりもいたくして・はるゝかたなくつ

れづれなれば御かた%\絵物語などのす

さひにて・あかしくらし給ふ・あかしの御かた

は・さやうのことをもよしありてしなし

給ひて・姫君の御かたに奉り給ふ・西の

たいには・ましてめづらしく覚え給こ

とのすぢなれば・明暮かきよみいと

250151

なみおはす・つきなからぬわか人あま

たあり・さま%\にめづらかなるひとの

うへなどを・まことにや偽にや・いひあつ

めたる中にも・わが有様のやうなるはな

かりけりとみ給ふ・すみよしの姫君の・

さしあたりけんおりは・さるものにて・い

まの世のおぼえもなをこゝろことなめ

るに・かぞへのかみは・ほど/\しかりけん

などぞ・かのげんがゆゝしさをおぼし

なぞらへ給・殿はこなたかなたにかゝる

物どものちりつゝ・御めにはなれねば・

あなむつかし・女こそ物うるさがりせす・

250160

人にあざむかれんとむまれたるものなれ・

こゝらの中にまことはいとすくなからんを・

かつしる/\・かゝるすゞろごとに心をうつし・

はかられ給ひて・あつかはしきさみだれ

がみの・みだるゝもしらでかき給ふよとて・

わらひ給物から・又かゝる世のふることな

らては・げになにをかまぎるゝことなき・

つれ%\をなぐさめまし・さてもこの偽ど

もの中に・げにさもあらんとあはれを

250161

みせ・つき%\しうつゞけたるはた・はかなし

ごとゝしりながら・いたづらにこゝろうごき・

らうたげなるひめ君の・もの思へるみるに・

かた心つくかし・またいとあるまじきこと

かなとみる/\・おどろ/\しくとりなしけるが・

めおどろきて・しづかに又聞たびぞにく

けれど・ふとおかしきふし・あらはなるなど

もあるべし・このごろおさなき人の女ばう

などに・時々よまするをたちきけば・も

のよくいふものゝ世にあべきかな・そらごと

をよくしなれたるくちつきよりそ・いひ

出すらんとおぼゆれど・さしもあらじやと

250170

の給へば・げにいつはりなれたる人や・さま%\

にさもくみ侍らん・たゞいとまことのこと

とこそ思ひ給へられけれとて・硯ををしや

り給へば・こちなくもきこえおとしてげる哉・

神代より世にあることを・しるしをきける

なゝり・日本記などはたゞかたそばぞかし・

これらにこそみち/\しくくはしきこと

はあらめとてわらひ給・その人のうへとて・

ありのまゝにいひ出ることこそなけれ・よ

きもあしきも世にふる人の有様の・みるに

もあかず・聞にもあまることを・後の世にも

250171

いひつたへさせまほしきふし%\を・心にこめ

がたくて・いひをきはじめたるなり・よき

さまにいふとては・よきことの限をえり出・人

にしたがはんとては・またあしきさまのめづ

らしきことをとりあつめたる・みなかた%\

につけたる・此世の外のことならすかし・人

250180

のみかどの・ざえつくりやうかはれる・おなじ

やまとの国のことなれば・昔今のにかはるべ

し・ふかきことあさきことのけぢめこそ

あらめ・ひたふるにそらごとゝいひはて

んも・ことの心たがひてなんありける・仏の

いとうるはしき心にて・ときをき給へる御

法も・方便といふことありて・さとりなき

物は・こゝかしこたがふ疑を置つべくなん・

方等経の中におほかれど・いひもてゆけは・

ひとつむねにあたりて・菩提と煩悩との

250181

(ナシ)

250190

へだゝりなん・この人のよきあしきばかりの

ことはかはりける・よくいへばすべてなにご

とも・むなしからずなりぬやと物語をいと

わざとのことにのたまひなしつ・さてかゝる

ふることのなかに・まろ・かやうにじほうな

250191

るしれものゝ物語はありや・いみじうけどを

き物の姫君も・御こゝろのやうにつれなく・

そらおぼめきしたるは世にあらじな・いざ

たぐひなき物語にして・世につたへさせん

とさしよりてきこえ給へば・かほをひき入て・

さらずともかくめづらかなることは・世語にこ

そは成侍ぬべかめれとの給へば・めづらかに

やおぼえ給ふ・げにこそまたなき心ちすれ

とてよりゐ給へるさまいとあざれたり

__思ひあまり昔の跡をたづぬれどおや

にそむける子ぞたぐひなき・ふけうなるは仏

の道にもいみじくこそいひたれとの給へど・

250200

かほももたげ給はねば・御ぐしをかきやり

つゝ・いみじう恨たまへば・からうじて

__ふるき跡をたづぬれどげになかりけり

此世にかゝるおやの心は・ときこえ給ふも・心

はづかしければ・いといたくもみだれ給は

ず・かくしていかなるべき御有様ならん・むら

さきの上も・姫君の御あつらへにことつけて・

物語は捨がたくおぼしたり・こまのゝ物語の

ゑにてあるを・いとよくかきたるゑかなと

て御らんず・ちいさき女君の・なに心もなく

250201

て・ひるねし給へる所を・昔の有さまおぼし

出て・女君はみ給ふ・かゝるわらはどちだに・

いかにざれたりけり・まろこそ猶ためし

にしつべく・心のどけさは人に似ざりけれ

ときこえ出給へり・げにたぐひおほからぬ

ことゞもは・このみあつめ給へりけんかし・姫

君の御前にて・此世なれたる物語など・な

よみきかせ給ふそ・みそか心つきたる物の

むすめなどは・おかしとにばあらねど・かゝる

ことよにはありけりと・みなれ給はんぞゆ

ゆしきやとの給ふも・こよなしとたいの御か

た聞給はゞ・心をき給つへくなん・うへ心あ

250210

さげなるひとまねどもは・みるにもかたは

らいたくこそ・うつほのふぢはらのきみ

のむすめこそ・いとをもりかにはか%\し

き人にて・あやまちなかめれど・すくよ

かにいひ出たる・しわざも・女しき所なか

めるぞ・ひとやうなめるとの給へば・うつゝの

人もさぞあるべかめる・ひと%\しくたて

たるをもむきことにて・よきほどにか

まへぬや・よしなからぬおやの心とゞめて・

250211

おふしたてたる人のこめかしきを・いけるし

るしにて・をくれたることおほかるは・なに

わざをしてかしづきしぞと・親のしわ

ざさへ・思ひやらるゝこそいとをしけれ・げ

にさいへど・其人のけはひよと見えたるは

かひあり・おもだゝしかし・言葉のかきり

250220

まばゆくほめをきたるに・しいでたるわ

ざ・いひ出たることの中に・げにとみえき

こゆることなき・いとみおとりするわさ也・

すべてよからぬ人に・いかで人ほめさせじ

なと・たゞこの姫君のてんつかれ給ふまじ

くと・よろづに覚しのたまふ・まゝはゝの

はらぎたなき・昔物語もおほかるを・心

みえに心づきなしとおぼせば・いみじく

えりつゝなん・かきとゝのへさせ・絵などに

もかゝせ給ける・中将のきみを・こなたに

はけどをくもてなし聞え給へれど・姫

君の御かたには・さしはなちきこえ給は



本文:「中将のきみを」、「の」左側中ほどから「き」にかけて線。



250221

ず・ならはし給・わが世の程は・とてもかくて

もおなじごとなれど・なからんよを思ひ

やるに・猶みつき・思ひしみぬることゞも

こそ・とりわきてはおぼゆべけれとて・

みなみおもてのみすのうちはゆるし

給へり・だいはん所の女房の中はゆる

し給はず・あまたおはせぬ御なからひ

にて・いとやむごとなくかしづき聞え給へ

り・おほかたの心もちゐなども・いと物々

しく・まめやかにものし給ふ君なれば・

250230

うしろやすく覚しゆづれり・まだいは

けたる・ひいなあそびなどのけはひ

のみゆれば・かの人のもろともにあそび

て・すぐしし・とし月の・まづ思ひ出らる

れば・ひゐなのとのゝみやづかへ・いとよ

くし給て・おり/\にうちしほたれ給ひ

けり・さも有ぬへきあたりには・はかな

しごとも・のたまひふるゝはあまたあれど・

たのみかくべくもしなさず・さるかたに

などかはみざらんと・心とまりぬべきを

も・しゐてなをざりごとにしなして・な

をかのみどりの袖を・みえなをしてしが



本文:「思ひ出らるれば」の「ら」、濁点あるいは見せケチ。



250231

など・思ふこゝろのみぞ・やんごとなきふし

にはとまりける・あなかちになど・かゝ

づらひまどはゞ・たふるゝかたに・ゆる

し給ひもしつべかめれど・つらしと思ひ

しおり/\・いかで人にもことはらせた

てまつらんと・思ひをきしことわすれ

がたくて・さうじみばかりには・をろかな

らぬ哀をつくしみせて・おほかたにはい

られ思へらず・せうとの君達などもな

まねたしなどのみ思ふことおほかり・たい

のひめぎみの御有様を・右の中将はいと

ふかくおもひしみて・いひよるたより



本文:「思ひし」の「し」、左黒点1。



250240

もいとはかなければ・この君をぞかこち

よりけれど・人のうへにては・もどかしき

わざなりけりと・つれなくいらへてぞ

ものし給ける・昔のちゝおとゞたちの・

御なからひにゝたり・内のおとゞは・御子ど

もはら%\いとおほかるに・そのおひいで

たるおぼえ・人がらにしたがひつゝ・心にまか

せたるやうなる・覚えいきほひにて・又なく

したて給ふ・女はあまたもおはせぬを・女

御もかくおぼしゝことのとゞこほり給ひ・

姫君もかくことたがふさまにて物し

給へば・いと口おしとおぼす・彼なでしこを

250241

わすれ給はず・ものゝ折にも語出て給しこ

となれば・いかに成にけん・物はかなかりける・

親の心にひかれて・らうたげなりし人

を・行衛しらず成にたること・すべて女子

といはん物なん・いかにも/\めはなつまじ

かりける・さかしらに我子といひて・あやし

きさまにてはふれやすらん・とてもかく

ても聞え出こばと哀におぼしわたる・君達

にももしさやうなる名乗する人あらば・

みゝとゞめよ・心のすさひにまかせて・さる

まじきこともおほかりし中に・是はいと

しか・をしなべてのきはには思はざりし

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人の・はかなき物うむじをして・かく

すくなかりける物のくさはひひとつを・

うしなひたることの口おしきことと・常

にの給ひ出・中比などはさしもあらず・

打忘給ひけるを・人の様々につけて・女

子かしづき給へるたぐひ共に・我おもほす

にしもかなはぬが・いと心うくほいなく

覚す成けり・夢み給ひて・いとよくあは

する物めして合せ給けるに・もし年比

御心にもしられ給はぬ御子を・人の物に

なして・聞召出る事やときこえたりけれ

ば・女ごの人の子に成ことはおさ/\なし・

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いかなる事にかあらんなど・このご

ろぞおぼしの給ふへかめる

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(ナシ)

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(ナシ)

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後表紙