刊行のことば
源氏物語が書かれてから、やがて千年になろうとしている。当初から多くの読者を得て、つぎつぎに書写されたが、それだけに、成立後二百年余も過ぎた鎌倉時代の初頭には、諸家の伝える本文の間に、著しい相違が生じた。こうした事態に対応し、時を同じうして校勘作業を企てた成果が、藤原定家の青表紙本であり、源光行・親行父子の河内本である。今日に遺される源氏物語の数多い伝本の大半が、この二つの系統に区別されるのは、よく知られており、両系統本の享受には歴史的な消長があって、現今は青表紙本がもっぱら読まれている。本文研究の結果として、それが比較的原本に近いかとされるのに対し、河内本が、当時あった諸本を参照し、解釈的な校訂を加えたかと思われているからである。しかしながら、『水原抄』『紫明抄』『原中最秘抄』など、源氏物語の初期の注釈書のほとんどが、河内本によって行なわれたし、二つの対立本文を比較して解釈上の論議に資する方法は、今なお活発てある。河内本を抜きにして本文批判をなしえないのは当然だからである。そして、河内本の本文自体の研究も、別本の検討とともに、今後にまつべきところが多いであろう。
尾州家河内本源氏物語は、鎌倉中期の正嘉二年(一二五八)、金沢文庫の創立者として知られる北条実時が、数人の能書家に命じて、当時まだ健在であった源親行の原本から、直接に書写させた本である。爾来、代々鎌倉の将軍家に伝わり、豊臣家をへて徳川家康の手に移ったかともいわれ、その後、尾張徳川家の有に帰して、現在は名古屋市立蓬左文庫の所蔵となっている。ひとり河内本としての雄であるばかりでなく、書写年次が古いこと、由緒・伝来が明らかであること、五十四帖全巻が揃っていることなど、源氏物語の数多い伝本の中でもとくに傑出した存在である。それ故に、約半世紀前の昭和九年六月、徳川黎明会によって、つとに複製刊行されたが、それも今ではまったくの稀覯の書となった。ここに、近時の学界における厳密な方法に基づき、新たに精確な原本照合を行なって、句読点・声点をはじめ、本文上のあらゆる検討に堪え得る複製本を再刊することとした。斯学発展の一助とならば幸いである。 昭和五十二年十二月 財団法人日本古典文学会
推薦のことば
東京大学教授 秋山 虔
紫式部の同時代から平安末期にかけて源氏物語がどれだけ多くの人々によって書写されたかは想像に余ることである。この物語が無類の傑作であっただけに書写に書写が重ねられたのは当然だが、しかしながらそれらの写本はすべて佚失し、現在われわれの手にしうるのは鎌倉初期の校訂本文である。
それらが青表紙本系と河内本系に大別されることは周知であり、かつ前者のほうがより原作の俤を伝えているとする常識は正しいだろうが、しかしながらそれはあくまで相対的なものであると考えられる。青表紙本の不可解な本文箇所が、河内本によって氷解する場合もきわめて多いが、それらをすべて河内本は解しやすいように改訂されているからだと断定してしまうのは誤りであろう。常識に判断を委ねきってしまうべきではあるまい。
それはともかく、青表紙本が現代の流布本として一般に行きわたっているのに対し、河内本がほとんど読まれることのなかったのは残念なことであったが、このたびまとまった本として最も由緒ある尾州家河内本が覆印されることになったのは望外の喜びである。徳川黎明会版の覆製本に基づきながら、蓬左文庫に現蔵される原本を精査し、河内本独特の句点・声点および注記・振り漢字などについて厳密に校正されている。河内本とはいかなる本文であるのかを、あらためて凝視することができるのは大いなる楽しみである。