刊行のことば
『源氏物語』は付言することがないほど著名な作品であり、それだけに昔から多くの人々に読まれ、たくさんの写本が残されている。江戸時代に書写されたものを含めれば、五十四帖揃い本だけでも数十部は残っていると思われる。しかし、古写本となると極端に数は減り、『源氏物語』が書かれた平安朝期に書写されたものは、当時、すでに多くの人々に愛読されていたにもかかわらず、単独の巻ですら伝来していない。現存する最古のものは鎌倉・南北朝期のもので、それらはほとんどが国宝、重要文化財に指定されている。御物の中にも『源氏物語』が二部あり、ともに東山御文庫に蔵される。一部は「各筆源氏」と呼ばれる全五十四帖揃い本であり、いま一部は「七亳源氏」と呼ばれる十帖を欠いた袋綴の四十四冊本である。
今回複刻するのは「各筆源氏」で、その名の如く、多くの能勢圭球の手で書写されている点に特徴があり、古典を、とりわけ「源氏」を愛する人々ばかりでなく、書を愛する人々にとっても、見逃すことはできない。また、川圭術的に見ると、青表紙本系統・河内本系統の巻々に比べ、より古態をとどめるとみられる別本系統の本文をもつ巻々を多数含む点が注目されており、御物ゆえに手に取つて見ることのできる可能性はほとんどなく、本妻日の刊行が学界に寄与すること多大で、その価値ははかり知れないと信じて疑わない。